香水の快楽

久しぶりにHさんが訪ねてくれた。色んなことを話して楽しかったが、その中で私の昨日のメカスのフィルム紹介記事の中の「香水の快楽」がちょっと話題になった。

私は「香水の快楽」については『香りの記号論』という本の紹介ページへのリンクと「官能的な香り」についてはWikipediaの「クオリア」へのリンクを張っておくに止めたのだが、書きたいことがあった。彼女のように突っ込んでくれると、ありがたい。

メカスはつねづね人生にはあらゆるものが必要だ、と主張してきた人だ。ひとつひとつのものは、そんなに沢山はいらない。お金も親友も。でも、色んなものが、多種多様なものが、人間がよい意味で人間らしく豊かにしみじみと人生を味わって生きていくためには必要なんだ、と。そんなものの一つに香水も数えられるということが一つ。

それから、香りは他の感覚の質(クオリア)に較べても抜きん出たリアリティを持っているということが二つ目。それが証拠に、過去の思い出の少なくない部分が匂いや臭いや香りに結びついている。プルーストの『失われた時を求めて』じゃないが、記憶の仕組みを探究するのに「場所」もそうだが、「香り」も欠かせないと思っている。

Hさんとは、「共感覚」の話でも盛り上がった。彼女は触覚と色覚が繋がっているという能力を保持していることが判明した。同じ材質と形態の二つの色の違う物体を手探りだけで、色を「見分ける」ことができるのだった。羨ましい。

ちなみに、私は香水を使ったことはない。一度そのライブに行ってみたいと思っている菊地成孔さんは、なんとかいうフランス製の高価な香水をライブのフィナーレにさりげなく空中に散らすという。そういう振る舞いが野暮にも気障にもならないのが彼らしい。そういえば、フランスで精油を管理するために開発されたデータベース・ソフトがあるという話を昔聞いたことがあったことを思い出した。名前は思い出せない。