故郷と難民hometown & refugee:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、47日目。


Day 47: Jonas Mekas

Friday February. 16th, 2007
3 min.

Back to March 1990:
Lithuania says
bye bye to the
Soviet Union
and initiates
its collapse.

1990年3月に遡る:
リトアニア
別れを告げたソ連邦は
崩壊し始めた

ソ連邦の15の共和国の中でもっとも早い1990年3月11日に、リトアニアは独立回復宣言をした。当時のCBSニュースの映像が流れる。「帝国」からの「独立(independence)」という言葉が印象に残る。メカスの映画もまた「独立」映画だ。

その頃日本はまだバブルに浮かれていたが、子どもが生まれたばかりの貧乏な大学院生の私には関係なかった。むしろ、ベルリンの壁崩壊、ソ連邦解体に、世界の変化、歴史の必然を感じて興奮していた。当時、その必然は思想によってではなく、テクノロジーとメディアによってもたらされたという説が新鮮に聞こえた記憶がある。そして、人間が作る「壁」はいずれ壊れるものだと強く感じた。他方、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ベルリン天使の詩』を何度も観ていた。ベルリンの壁がまだ存在したときにその壁を自在に行き来する天使を想像力豊かに表現した作品だった。そこでは壁の中で疲弊した人々の心の声がコラージュされ、それに耳を傾ける天使たちが描かれていた。

ところで、メカスの代表作『リトアニアへの旅の追憶』(1972)へのメカス本人の注釈の中には次のように書かれている。

私は反戦のための映画をつくろうとしていた。私は「戦争があったのだぞ」と叫びたかったのだ。街を歩き回っていても、誰も戦争があったことなど知らないかのように思えた。この世には、人々が安心して眠ることのできない家があったのだ。その家の扉は、夜、兵士や警察の長靴で、いつ蹴破られるかも知れないのだ。私はそういうところからやって来た。しかし、この街の誰も、そのことを知らなかった。(中略)今だって、私たちは難民キヤンプにいる。それどころか、世界は難民でいっぱいだ。どこの大陸にも、難民があふれている。あそこを出されたその時から、私たちは故郷をめざした。その旅は今も続き、私は故郷への旅の途上にある。ああ、世界よ、私はこんなにお前のことを愛しているのに、どうしてお前は私たちを、あんなにむごたらしくあつかったのだ!

「難民(refugees)」とは「故郷」を奪われた人のこと。日本においても「難民」は他人事ではない。経済難民は増え続けている。いや、それ以前に、そもそも「近代化」とは人間を国家のなかで根こそぎ「難民」にしてしまうシステム化だったのではないかと不図思う。直観的には7〜8割の人間の大きな犠牲の上で2〜3割の人間が楽をするシステム?それが結局は地球規模にまで拡大した。しかもその2〜3割の人間の現状維持のために……。


振り返ってみれば、私には自信を持って「故郷」といえる場所はない。たまたまそこで生まれた町、たまたま何歳から何歳まで住んだ町、そしてたまたま今住んでいる町、というふうに特別な深い絆を感じる場所はない。死んだ父母や祖父母にしてもそうだったような気がする。祖父母にしてすでに、生まれてから十四、五歳になるまで育った土地で一生は暮らせなかった世代である。しかし言葉は死ぬまでやや乱暴な、だけどとても温かい東北弁のなまりが強かった。最晩年になってからも祖父母の夫婦喧嘩の言葉のやりとりは半分も理解できなかった。幼心に、その「訛り」が示す東北のどこかに私は自分の「故郷」があるような気がしていたような気がする。

私は祖父母の代から三代かけて故郷を追われた難民なのかもしれないと変なことを考えた。実際には私はいつでもどこでもそこが「故郷」と思えるような我流のレッスンをしてきたような気がしないでもない。旅先でもだいたいいつも「ここで暮らせるだろうか」とついつい考えている。先日も東京のあちらこちらでそう考えていた。