床屋談義+アメリカ床屋初体験記

今日仕事帰りに久しぶりに行きつけの床屋さんに行った。7時閉店のところ、入店したのが6時ちょうど。店主はとても気さくないい方で、二ヶ月に一度来ればいいほう、下手をすれば三ヶ月おきにしか来ない客に対しても、昨日会ったばかりであるかのような気配りの効いた応対をなさる。毎回こちらが恐縮するほどだ。

今日は「頭皮マッサージ」の無料サービスまでしてくれた。あれは高いのではないか。その分を払おうとしても、頑として受け取らない。じゃ、次は一月後に必ず来るから、と果たせない口約束をした私に、彼は、雪がなくなるころ、お待ちしてますよ、と皮肉を言われた。でも、例年なら四月になってもまだかなりの雪があるが、暖冬と根雪の少なさから言って、三月中には雪はなくなるかもしれない。そうなれば一月後には来なくてはならない。

その理容室では、若い女性スタッフが二人、若い男性スタッフが一人、そして店主の四人体制である。女性スタッフの一人Aさんだけはいつもカットはせず、洗髪や顔剃りと店内全体の目配り役のようで、店主Xさん、男性スタッフYさん、もうひとりの女性スタッフBさんはすべてをこなす。非常にチームワークよく、てきぱきと仕事をこなしている。

今日は最初にAさんによる頭皮マッサージと洗髪だった。冷たいゲル状の液を頭全体にたっぷりとかけられ、頭皮を刺激したり、絞ったりするようなマッサージを受けてから、黄色いタオルで頭をぐるぐる巻きにされ、大きなビニールのキャップを被せられてから、ゆっくり回転する赤外線の装置を頭上から15分くらい当てられる。頭がぽかぽかして気持ちがいい。正面の鏡に写る頭をタオルで巻いた自分は、眼鏡をはずしていてぼやけていたせいもあり、アラブの盗賊のように見えた。写真に撮りたいくらいだった。Aさんも受けていた。

頭皮マッサージ、洗髪を終えるまで、トータル40分くらいかかった。そして少しの間も置かずにYさんにバトンタッチしてカットが始まった。店主XさんとBさんは他の先客のカットや顔ソリにかかっていた。私が最後の客だった。YさんはT市の老舗の床屋さんの三代目で、目下札幌で修行中の身だ。行く行くは実家を継ぐという。しかし、不況の波は例外なくT市にも押し寄せ、なぜか床屋が増え、5分と歩かない範囲に3件も増えたと嘆いていた。

先客の散髪が終わった店主Xさんは気を遣って時々私のところに来てはいろいろと話題を投げてくれる。カットが終わり、再度の洗髪を終え、顔ソリも終わり、最後に、まだ湿っている髪の毛の乾燥と整髪にかかっていたとき、あろうことか、最後に振った話題は、ちょっと薄くなってきたようですね、だった。薄くなろうが、禿げようが、全く気にしていない私のことが分かっているとはいえ、敢えてそう言う必要はないように思えた。しかし、そこには私の想像を超えた彼のモチベーションが秘められていた。

要は、こういうことだった。

抜け毛の大きな原因は頭皮の毛穴が老廃物で詰まることだ。市販の、特に最近のシャンプーは基本的な洗浄力が極めて弱いので、毛穴の洗浄にはほとんど役立たない。そこで、かといって、今日の頭皮マッサージで使っているような高価な洗浄剤を買う必要はない。固形石鹸があるでしょう?あれで十日に一回洗いなさい。そうすれば、毛穴まできれいに洗浄される。最近は昔に比べて髪の毛が薄くなっている若者は二倍以上に増えているんですよ。ワックスだなんだと頭髪につけるでしょう。あれが頭皮の毛穴もふさいでしまうんですよ。昔の人は石鹸で洗うことが多かったから髪の毛の薄い若者は少なかったんですよ。

Xさんの説には説得力があったが、頭髪が薄くなってバランスが悪いようなら、髭でカバーすればいいとも思っている怠惰な私は十日に一度石鹸で頭を洗うことはないであろう。この話をすっかり忘れた二ヶ月後くらいにまた頭皮マッサージを受けて、同じ話を聞かされることになるような気がする。床屋談義を終えたときには8時になっていた。

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床屋に行くたびに思い出すのは、一年間のアメリカ滞在中に二度だけ行ったあちらの床屋での体験である。当時の日記というか、日本の知り合いに配信していた「カリフォルニア通信」を検索したら、その時の記録があった。アメリカの床屋初体験記である。

こちらに来てからひと月過ぎた頃から気になり始めた伸び放題でぼさぼさの髪を床屋さんに行って切ってもらうことが、電話での会話以上に僕にとっては難題でした。日本にいるときからアメリカでの床屋事情については、いい話は聞かなかったし、こちらに来てからも知り合った日本人は皆、日本人の床屋を探して、わざわざ隣町まで出かけているそうでした。その理由はとにかくこちらの床屋はひどいもんで、いきなりバリカンでじょりじょり、しかもあっという間に終わって、必ず後悔するような髪型になるからということでした。僕も最初はそうした方がいいかなとも思いましたが、それも面倒だな、話の種にもなるし、地元の普通の床屋に行ってみようと思っていました。ダウンタウンの床屋さんを何件かチェックしてあったので、その中のどれかにしようと心に決めていたのですが、19日の午後、もう耐えられなくなって、しかもダウンタウンまで行くのさえ面倒になって、キャンパス内のスタンフォード・ヘアという床屋に駆け込みました。

眼鏡をかけた恰幅のいい、愛想もいい黒人のオバさんがやっているお店で、短くして、と注文すると、ハウ・マッチ?と聞かれたので、一瞬、値段か?でもそれはこっちの台詞だろ?ととんちんかんな一人問答をしてから、当然この状況と文脈では彼女は切る髪の長さを聞いてるんだよなと確信して、うーん、1インチと答えました。オーケー、と言った彼女は僕にとってはかなり不安な、不器用な手つきで紙の首巻きとエプロンを付けてから、しかし、いきなりバリカンではなく、ちゃんと櫛を使ってハサミでカットしてくれました。もみ上げはバリカンでしたし、切りかすはドライヤーで吹き飛ばしていましたが、結果オーライで、最後には初めて嗅ぐ甘い匂いのヘアリキッドらしきのもを全体に振りかけられて終了しました。その間、彼女は自分が動くのではなく僕を乗せた椅子を片手でひょいと回転させては大きなお腹でよいしょと止めて、向きを変えては仕事をしていました。太っているせいか途中から息が荒くなりました。散髪している間、初対面では定番的な世間話をしました。彼女はテキサス、ヒューストンの生まれで、現在は隣町のメンロ・パークに住んでいるそうでした。テキサスが懐かしい、とてもいい所よ、と言っていました。その時僕は偶然上下黒の服装で、エクアドルのおばちゃんから買ったアルパカの毛織りのバッグを肩からぶら下げていたのですが、いいバッグね、シャツもいい色ね、と言われました。ただの黒なのに、と思いましたが、サンキューと答えました。料金は16ドル。支払う時、名前を尋ねると、店のカードの余白にMarjorieとボールペンで書いて、マジョリーよと教えてくれました。僕は、マジョリー、いい仕事をしてくれてありがとう、と言って握手して店を出ました。彼女は店の外まで見送ってくれて、世間話の中で僕が尋ねたジャズの生演奏が聴ける店の情報を教えてくれそうなセンターの建物のある方向と場所を詳しく教えてくれたのでした。
「カリフォルニア通信12 (2004年5月23日)」抜粋