神の視点、喜劇の視点 Peter Bogdanovich & Buster Keaton:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、3月、74日目。


Day 74: Jonas Mekas
Thursday March. 15th, 2007
12 min. 10 sec.

My old friend Peter
Bogdanovich
on
Buster Keaton and
a few other things --

古い友
ピーター・ボグダノヴィッチ
バスター・キートン
その他について
語る

アンソロジー内のシアターでアンソロジーの記念スピーチをするメカスをステージ脇から固定カメラがとらえる。メカスはユーモアたっぷりに力強く、シネマの奴隷説、シネマへの愛(Love for cinema)を語り、アンソロジー創設に尽力した共同創設者のジェローム・ヒル(Jerome Hill, 1905-1972)への感謝と思い出を語り、スペシャル・ゲストのピーター・ボグダノヴィッチを紹介する。ピーターとは60年代に、42番街で15本か20本の映画を一晩中一緒に観た思い出を語る。カメラのすぐ横にピータが控えているらしく、彼の声が時々入る。「そうだ。一晩中だった。」

マイクの前に立ったボグダノヴィッチはメカスの紹介を軽く受けて、いきなりバスター・キートン(Buster Keaton, 1895-1966)の話を始める。どうも、キートンの映画の上映を控えているようだが、状況ははっきりとはつかめない。キートンといえば、チャプリン、ロイドとならぶ「三大喜劇王」だが、「文句を言われるかもしれないが、私はチャプリンやロイドよりもキートンが好きなんだ」とボグダノヴィッチはキートンの魅力を語る。スタントマンなしの体を張った驚くべき演技、あの完璧に無表情ないわゆる「偉大なる石の顔」("The Great Stone Face" )、等々。

ボグダノヴィッチは引用していないが、キートンの有名な言葉に「悲劇はクローズアップ、喜劇はロング・ショット」("Tragedy is a close-up; comedy, a long shot.")がある。2月17日に触れた「喜劇とは悲劇プラス時間である」(“Comedy is tragedy plus time.”)というコメディアン女優キャロル・バーネットの言葉を連想するが、同じことを違う観点(時間か空間か)から述べた人生の真実であろう。と、思っていたら、このキートンの言葉はチャプリンのもっと具体的な有名な言葉の編集だった。*1「人生は近くから見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」(“Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.”)。もしかしたら、昨日、そして今日も取り上げた盲目の歌手ブラインド・ウィリー・ジョンソンにもどこか「喜劇」の要素があったのかもしれない、と不図思った。自分をあまりに近くから見てばかりいてはいけない。できるだけ遠くから見るんだ。そうすれば、どんな悲劇、嫌なこと(trouble)も喜劇に見えるさ。そして一番遠いはずの「神の視点」とは実は「喜劇の視点」なのかもしれない。

ピーター・ボグダノヴィッチ(Peter Bogdanovich, 1939-)といえば、「アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)」世代の監督の一人。*2
「ペーパー・ムーン」(1973)はとても好きないい映画だった。*3

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*1:「だった」とは、思い出して、検索したら、あった、という意味。

*2:その世代には、「フレンチ・コネクション」(1971)のウィリアム・フリードキン、「殺しのドレス」(1980)のブライアン・デパルマ、「アメリカン・グラフィティ」(1973)と「スター・ウォーズ」(1977)のジョージ・ルーカス、「タクシードライバー」(1976)のマーティン・スコセッシ、「未知との遭遇」(1977)のスティーヴン・スピルバーグ、「ディア・ハンター」(1978)のマイケル・チミーノ、「ゴッドファーザー」(1972)のフランシス・フォード・コッポラなどがならぶ。

*3:月に並んで腰掛けるカップルのイメージは、日本の少女漫画においても重要な深いメタファーとして継承されていることを、私は美崎薫さんから学んだ。