Nina Simone at Tampere, Finland:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、3月、83日目。


Day 83: Jonas Mekas
Saturday March. 23nd, 2007
2 min. 16 sec.

We drive all very
happy through the
streets of Tampere,
Finland, with Nina
Simone
on radio --

フィンランド
タンペレの通りを
車で流す
皆すごく上機嫌。
ラジオからは
ニーナ・シモン

メカスの一行はまだ、タンペレにいたのか?と思った。

私はある意味でメカスの流儀を裏切るようにして、場所や時間や登場する人間の情報を可能なかぎり調べて記録しようとしている。いわば「事実」を記録しようとしている。メカスの映画の本質がそのような姿勢と根本的に相容れないことは重々承知の上であえてそうしている。ウェブ上の情報によって、実体験にどこまで迫れるものか、そしてその限界はどこにあって、それが意味することは何か知りたいと思っているからである。

夜。「タンペレ!」とメカスの声。ニーナ・シモン(Nina Simone, 1933-2003)の太い張りのある歌声が大きく聞こえる。カメラはフロント・ガラス越しにタンペレの街を撮る。運転手の素性は不明。ハンドル中央のエンブレムから、車はメルセデス・ベンツと判る。後部座席の三人はニーナ・シモンの歌に合わせて、手で膝を叩きながらリズムをとっている。ハリー・スタンダール、ベン・ノースオーバー、そしてメカスの息子セバスチャン。セバスチャンは昨日のビデオレターではウィーンにいたはず。

時の「編集」こそが映画だろう?というメカスの声が聞こえる気がした。国家の歴史ではなく、独立した人間の物語なんだから。


ニーナ・シモン(Nina Simone, 1933-2003)、本名Eunice Kathleen Waymon。ウィキペディアの項目「ニーナ・シモン」の「バイオグラフィ」によれば、

1933年2月21日にノースカロライナ州、トライロンで7人兄弟の6番目として生まれた。4歳からピアノを弾き始め、彼女の才能にほれ込んだ周囲のバックアップを得て、クラシック音楽のトレーニングで有名なジュリアード音楽院に進学。しかし、貧しかった家族を助ける為、1954年にはアトランティック・シティのアイリッシュ・バーで初めて音楽を仕事にしている。 このバーのオーナーに薦められ歌い始め、やがて名前をニーナと改め、尊敬するフランスの女優、シモーヌ・シニュレに因んで、ニーナ・シモンと名付けた。したがって、本来はニーナ・シモーヌが正しいのかもしれない。2000年を過ぎてからフランスに居を構え、さらに活動を活発化させていたが、2003年4月21日、Carry-le-Rouet, Franceで70年の生涯を終えた。

ニーナ・シモンといえば、大学生の頃によく聴いた、satonaoさんも愛情の籠ったレビューを書いている、このアルバムを思い出す。

And Piano!

And Piano!

YouTubeには"Nina Simone"の映像が沢山アップされているが、今から40年以上も前の彼女がまだ28,9歳の頃のライブ映像まで見られる。

http://www.youtube.com/watch?v=4lhw8GQC3v4

http://www.youtube.com/watch?v=AE45ziAXKKs