ジョナス・メカスによる365日映画、3月、90日目。
Day 90: Jonas Mekas
Saturday March. 31st, 2007
4 min. 35 sec.
about why i am
not interested to
film the ugly and the
depressing
なぜ私は
醜い映画や気分が落ち込むような映画に
興味がないかについて語る
昨日のヘルシンキでの報道関係者を前にしての話の続き。(続くとは思っていなかった。3月の最終日なので、スタッフみんなで踊るんだろうなと高を括っていたら、どっこい、メカスには大事な話が残っていた。心地よく裏切られる。)
司会者:カメラを持ち歩いて撮影している間、捉えられず逃れ去るものがあると思うのですが、それは嫌ではないのですか。
メカス:非常に沢山の偶然(chance)があるんだ。全部をつかまえることなんかできっこない。例えば、今日一日24時間撮影し続けることもできるけど、それって(笑)、偶然じゃないよね。私の場合は、その瞬間に撮影する必要(need)がなければならないんだ。それは何かが私に触れて、それを私は記録したいと思うんだ、最初は自分自身にためにね、その後は他の人たちと共有するんだが。それは必要、必然性であって、決して自動的なものではない。私にとってはつねに必要がなければならないんだよ。私が見ているものを個人的に記憶しておくためにね。それは捨てないで取っておきたいものだんだ。言い換えれば、自分が反応したものを忘れたくないんだ。それは奇妙な強迫観念かもしれないけどね。
そしていつも幸せな瞬間を祝福しなければならないと思っているんだよ。反対に、醜いものや人の気持ちを落ち込ませるようなものには興味はないんだ。ホラーとかね。好きなのは、何かが起こって、それで皆がちょっと幸せになるような瞬間なんだ。話したり、食べたり、特に何かをしているわけではない時のね。ちっぽけで目につきにくい、だれも注意を払わないような瞬間。みんな大きな劇的な出来事に眼を奪われるけど、そういうものに興味はないんだよ。ないんだ。放っとけばいい。
質問者:あなたはこの瞬間にも撮影していますが、どんな「必要」があるんですか?
この場合は、実際上の必要があるんだ。これは365日プロジェクトの一環で、一種の挑戦、冒険なんだよ。かつてしたことのないことをやってるんだ。素材を集めている。それをこの時期の日記としてどうフィットさせて使うことなるかは分からないんだ。とにかく、これは別のことなんだよ。資料(documentaion)みたいなものかな。
365日プロジェクトについては本当にどうなるか分からない。4月や6月にどこにいて、何をすることになるか。そしてそれがさらに私をどこに導くか。本当に分からないんだ。
でも、分かっていることは、それもいずれ終わるということさ。365日が終わった後、それを拡張して、千夜一夜を作るかもしれないけどね。(会場に笑い)
***
というわけで、昨日の私のコメントには一見誤解があるように見える。メカスは過去の映画撮影と昨日と今日の記者会見の撮影を含めた365日映画のプロジェクトのための素材としての撮影を明確に分けているという。しかし、私としてはメカスの言葉をすべて額面通りに受け取ることはできない。記者会見も人生の一部であり、そこで起こる些細な偶然がその場にいる皆をちょっとだけでも幸せにする瞬間が生まれることを、メカスが望んでいないはずがない。今日は最後にメカスのジョークに皆が笑った。その瞬間に、メカスと報道関係者の間の目に見えない壁に穴が開いて、異質なものが溶け合った。