The water's love!, Louis Zukofsky:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、4月、112日目。


Day 112: Jonas Mekas
Sunday April. 22nd, 2007
7 min. 45 sec.

I am caught in
a rain storm ---
& escargot at
Lucien ---

暴風雨
につかまる---
そして
ルシアン
エスカルゴ---

部屋の中で、メカスは独り言のように言う。「ラジオでは今日はひどい嵐だそうだ。でも外は日が照っているぞ。何言ってるんだか。」

若い女性がアパートの共同出入口の扉を開け外に出た瞬間、溢れんばかりの外光で映像は真っ白になる。「とてもいい天気だ。どこが暴風雨なんだ?今6時30分。気持ちがいい。」とメカス。アパートが面する通りにも、その向こう側を走る高架道にも明るい光が降り注いでいる。カメラは足元をとらえる。他の住人がメカスの横をすり抜けて外に出ようとするのが足だけ写る。「ひどい嵐だってさ」とメカスは笑いながら声をかける。

暴風雨の中を行く車の中。フロントガラス越しに見える外は薄暗く、対向車はみなヘッドライトを点灯している。カメラは外の様子よりも、ワイパーの速い動き、フロントガラスの水滴、そしてタクシーの運転手の横顔を捉える。

通りに面したガラス窓に"BAR"と"RESTAURANT"が"A"のところで重ねてクロスさせた文字が見える。女性の給仕がテーブルの準備をしている。外はまだ明るい。通行人たちの多くは大きめの黒い傘をさしている。中には頭からすっぽりと雨合羽を被った人もいる。「エスカルゴ?」と尋ねる声。「そうだな。エスカルゴにしよう。」白ワイン。フランスパン。店内には、いい感じのフレンチ・ポップスが次から次へと流れる。他の客たちの話し声は、聴き取れるか取れないかぎりぎりのほどよさ。カメラは再び窓越しに通りを捉える。一組の客が店を出て行く。カメラが通りをズームアップする。路面で跳ね上がる雨が見える。

傘をさして舗道を歩くメカス。暴風雨ではない。雨脚は強いが、風はない。黙々と舗道を行くメカス。街路樹を見上げ、落書きを、空き地を一瞥する。

激しくコンクリートを打つ雨の映像。鈴の音が鳴ったかと思うと、タイプされたテロップの半透明の映像が重なる。

Only water --

We seek of the water
The water's love!

-- Louis Zukofsky

水だけが --

われらは水を探し求める
水の愛を!

 ルイス・ズーコフスキー

体内を地球上を循環しつづける水。雲も川も海も雪も雨も含めて「水の愛」はなかなか見えない。ズーコフスキーがそのオブジェクティビズムの詩的言語思想に基づいた前衛的な詩において、あたかもそこにそれがあるかのように、「水の愛」と呼びかけるまでは。(ねえ、メカスさん?)

ルイス・ズーコフスキー(Louis Zukofsky, 1904-1978)はアメリカのモダニスト詩人の第二世代の一人で*1リトアニアからアメリカへの移民二世である。厳格なユダヤ教徒だった両親の下でイディッシュ語(Yiddish)を話して育ったズーコフスキーはユダヤ的なるものへの反発の中で自己形成したという。20世紀初頭のモダニスト詩人の第一世代のリーダー、エズラ・パウンド(Ezra Pound, 1885-1972)とウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(William Carlos Williams, 1883-1963)の大きな影響の下に、ズーコフスキーは、詩を「対象(object)」とみなす詩論的立場から、Objectivist poets命名された緩やかに結びついたグループの運動を導いた。しかし同時代的には評価されず、1960年代から1970年代にかけて、メカスも含めて、ビート世代の詩人たち(Beat poets)などによって再発見され評価された。

メカスがエスカルゴを注文したフレンチ・レストランのルシアンは2月14日の「建築家の身体論Raimund Abraham」にも登場した。*2

*1:List of poetry groups and movements参照。

*2:ニューヨークのレストラン情報はこちらニューヨーク・レストラン情報で。