For the anthologist, Harry Smith:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、5月、129日目。


Day 129: Jonas Mekas
Wednesday May 9th, 2007
3 min. 19 sec.

I managed to tape
Nick Cave singing
one of Harry Smith's
favorits at St.Ann's
before they threw
me out --

ニック・ケイブ
聖アン教会で
ハリー・スミス
お気に入りの曲を歌うところを
なんとか撮影しようとするも
追い出される

ニック・ケイブの過去の活動記録によれば、1999年11月11日、12日の両日、ブルックリンの聖アン教会で「ハリー・スミスの夕べ("Harry Smith Night")」という公演を行った。教会といっても、公演会場は礼拝堂とかではなくて、ちゃんとステージのある教会付属の劇場のように見える。ニック・ケイブハリー・スミス(1923-91)のお気に入りの一曲だという"Shine On Me "を歌う。歌詞はこちらで。メカスは後方から遠目に歌うケイブを震えずに撮り続けるが、曲が終わりかけるころに、会場係らしき男性の小声で注意するトーンの声が聞こえて、ちょっとやりとりがあった末に、カメラは真っ暗な足元を写したまま映像は終わる。

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メカスの友人の多くがそうであるように、ハリー・スミスもまた複数の肩書きをほしいままにした。実験的映像作家、音楽民族学(Ethnomusicology)者、アーキビスト(Archivist)、レコード蒐集家、芸術家、ボヘミアン(Bohemian)、カバリスト(Kabbalist)、そしてアンソロジスト(anthologist)。アンソロジスとしての仕事はアメリカの民俗音楽(フォーク・ミュージック)への深い傾倒から1952年にAnthology of American Folk Musicというアルバムをリリースした。その三部構成(Ballads/Social music/Songs)のアルバムのSocial musicの27番トラックにErnest Phipps and His Holiness Singersの歌うShine On Meが収録されている。

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近年は日本でも、デジタル・アーカイブ化の動向のなかで、アーキビストという肩書き、呼称をよく目にするようになったが、一方では、古くからある編纂(アンソロジー)、編纂者(アンソロジスト)の社会的認知度は極めて低い。アンソロジーの方法的魂は無限を有限に置換、翻訳するコンパイル、コンピレーションにある。アンソロジーは語源的には古代ギリシアの「花束」に由来するが、花を束ねるという一見主観的で頼りない行為には無限の対象を有限の代表に「翻訳する」という実は高度な情報編集技術が秘められている。

以前書いたように、ジョナス・メカスが創設したアンソロジー・フィルム・アーカイブズに関しても、メカスが単にフィルム・アーカイブズと命名せずに、頭にアンソロジーを冠したのには、そこにいわば対象に対する深い愛情と関心に支えられた「生きた目」を根付かせようとする明確な意図、思想があったからにほかならない。

日本でも古来、詩歌の編纂、アンソロジーは多く編まれてきたし、現在でもミュージシャンが自作の楽曲を編みなおして新しいアルバムを作るということがなされるが、残念ながら、その編むこと自体への方法的自覚が公に促され深められることはまったくといっていいほどなされては来なかった。アンソロジーは専門家の余技程度にしか認知されていないのが実情である。

しかし、メカスの365日映画を見続けているうちに、アンソロジーという方法を自覚して生活全般に適用すること、つまり「好きなものを編む」こと、すなわち「好き」を深めつつ、「編む」ことをくり返すことによってしか、人生を魅力的な「花束」にすることはできないだろう、と絶えず耳元で囁かれているような気分になっている。

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もちろん、難しいのは、嫌なことを好きになることである。しかしその方法は簡単で、嫌だと思い込んでいることは大抵コンプレックス(複合体)をなしているので、それをバラす、分解すればいい。そうすれば、細部に好きになれるきっかけが見つかることが多い。時間についても、嫌な時間帯があるとすれば、それを細分化すると、嫌でもない、むしろ好きになれる断片的時間がたくさん見つかることが多い。

そもそも好きなことが見つからないという、よく聞く、甘え切った悩みについては、とりあえず、なんでも「好き」になったつもりで付き合ってみるのが人生の大前提であるからして、好きなものが見つからないといって甘えている自分をそれ以上甘やかしてどうするつもりか、よく考えてみるしかない。思わず、話が大きく逸れてしまった。