Genet's film Un Chant d'Amour produced by Nikos Papatakis:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、5月、147日目。


Day 147: Jonas Mekas
Sunday May 27th, 2007
7 min. 29 sec.

In Paris I have a
drink with Nico
Papatakis
, producer
of Genet's film
Un Chant d'Amour
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パリで
ニコ・パパタキス
と飲む。
彼は
ジュネの映画
「愛の唄」の
プロデューサーを
つとめた…

1月11日のフィルムで、ジャン・ジュネ (1910-1986)が収監されていた巴里の中央刑務所を訪れたメカスは、ジュネ唯一の映画『愛の歌(UN CHANT D'AMOUR)』をどうやって合衆国、ニューヨークにこっそり持ち込んだかか楽しそうに語っていた。

ニコ・パパタキス(1918-)はエチオピア生まれのギリシア人の映画監督、脚本家、プロデューサー。主にパリで活動する。ニコがプロデュースした『愛の唄』(1950)をめぐって、メカスがニコにインタビューするような形で会話が進む。

『愛の唄』はパリでは1976年まで公開禁止だったという。撮影場所は、地上一階、地下一階からなるパリのあるナイトクラブで、そこにセットを設けた。撮影はすべてジュネがひとりで行った。ニコの役割はただ金を出すこと(just give money)だった。カメラワークに関してだけはカメラマンのジャック・ナトー(Jack Nateau)が協力した。作家や芸術家を集めてのアングラの上映会があった。その中にはサルトルボーボワールもいた。

当然のごとく、メカスは他にジュネが作った映像はないか、見られるものはないか尋ねる。確かなことは言えないが、ないと思うとニコは答える。昨日のフィルムで登場したビバと同様に、アンディ・ウォーホルの社交グループであるWarhol superstarの一人、ファッションモデル兼女優のニコ(Nico, 1938-1988)に会ったのは、ずっと後のことだという。ニコという偽名の由来は、写真家トビアス(Tobias)がニコ・パパタキスにちなんで命名した。