テンポラリー・スペース再訪

夕刻、久しぶりにテンポラリー・スペースを訪ねた。「弔問」を兼ねていた。オーナーの中森さんは十日前に奥様を亡くしたばかりだった。しかも私の想像を遥かに超える壮絶な状況において、大きな傷を負ってもいた。しかし、中森さんは心で血を流しながらも前を向いて戦っていた。中森さんの心意気に感応する若き才能たちが今日も集っていた。私はテンポラリー・スペース=中森さんに真の「アート・プロデュース」、すなわちこれからの日本のアートを担う若者たちの才能の産婆役を全身全霊で引き受け、果敢に現在と戦う本物の場所=人間を再び見た。中森さんはカタカナのプロデューサーではない。産婆であり戦友である。同じ負の現実を私達は生きているのだから。

テンポラリー・スペースでは、屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」が開催中だった。外光が溢れるギャラリー・スペースには、まるで生きもののようなガラスの静物たちが、ラララという生命の産声を伸びやかに上げていた。そんな眩しい空間をそっと通り抜けて、覗いた奥の間で、やや憔悴した顔の中森さんは独りではなかった。それぞれに重たい現在と戦う健気な若者が二人いた。中森さんに寄り添うように。一級建築士の資格を持ちながらも福祉住環境コーディネーター同潤会記憶アパートメント主宰として、建築の通念をまっとうに超え出た地平でさまざまな挑戦を続ける東京在住の「いしまるあきこ」さん、休みない脳の活動を精密にトレース、フロッタージュするかのような渾身のライブドローイングに賭ける藤谷康晴さん。彼らを交えての中森さんとの前向きの対話は超面白かった。そこに前回訪ねたときに出会った篆刻師の酒井さんもやって来た。酒井さんとは奄美論で盛り上がった。そしてさらに北大大学院で芸術学を専攻し、ベンヤミンを深く読み解きつつ、イサム・ノグチや自分が関わる土地や建築の記憶の意味を真摯に探っている成田尚吾さんもやってきた。

尽きない話は、前回同様、近所の居酒屋に持ち越された。いしまるあきこさんは今回は親友の玉井夕海さんが脚本・主演・音楽を担当する、山本草介監督の映画『もんしゃん』の日本列島巡礼映写会の実現のために二風谷を経由して札幌に来ていたのだった。それは不知火海を背景に天草を舞台にした映画で、これは見たい!と話をちょと聞いただけで瞬時に体の奥が反応した。8月中旬に琴似での上映会が決まっている。その他、今はここには書き切れない沢山のことを話し合った。その場にはいなかった多くの人が話題にのぼった。前回一緒だった平岡さんのことも。楽しかった。