ジョナス・メカスによる365日映画、9月4日、247日目。
Day 247: Jonas Mekas
Tuesday, September 4th, 2007
7 min. 27 sec.
Birthday of
Antonin Artaud--
I read one of his
mad texts --
アントナン・アルトーの
誕生日…
私は彼の
狂気のテクストの
ひとつを朗読する…
天井の高いギャラリー風の空間(多分、Courthouse Gallery)の壁に梯子をかけて登っていく女性。何をするのかと思えば、アントナン・アルトーの顔が描かれた巨大なポスターを貼るところだった。
メカスのナレーションが入る。「アンソロジー・フィルム・アーカイブズ(Anthology Film Archives)、今年は1996年、日付は9月4日、アントナン・アルトーの100回目の誕生日。」
場面は替わり、アンソロジーのシアター(the Courthouse Theater or the Maya Deren Theater)のステージ上で、珍しく眼鏡をかけてしわくちゃのコピーに目を落としているメカス。
ここで別撮りの映像が挟まれる。サブリミナル効果のようにほんの一瞬映った表紙にArtaud(アルトー)の文字が見えた。次いで、1937年6月15日のホロスコープの図版が載ったある頁。さらに「結論」という小見出しだけ判別できる頁。タイトル不明のアルトーの英訳本。
シアターの場面に戻り、メカスはコピーを手に怒濤のごとき「朗読」を始める。ステージ上を動き回り、床を踏み鳴らし、飛び跳ねもする。ただ文字を追うだけではない。メカス流の解釈、演出による一人ギャグ、芝居のような朗読である。観客席からは笑いが絶えない。
西欧文明の大掛かりな「嘘」を告発し続け(ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』参照)、メキシコに「希望」を見出そうとした(「メキシコの夢」参照)異能の人アントナン・アルトーは、メカスにとってはひとりの父親みたいな存在なのかもしれない。
しかし、それにしても、日本では良くも悪くも極めてシリアスな模倣や研究や教養の対象になってしまっているアルトーの狂気の仕事を、メカスのように「からかいmake fun of」つつ、笑いとともに伝えられる器の大きさとそれを受け入れるニューヨークの(一部だろうけれども)懐の深さには学ぶべきところが多い。
なお、アンソロジー・フィルム・アーカイブズにおける1996年9月4日のアントナン・アルトー生誕100年記念イベントに関する公式の記録は見つけられなかった。
Antonin Artaud (English version)では"Pour en finir avec le jugement de Dieu" (『神の裁きと訣別するため』)のアルトー本人による驚くべき朗読の録音の最初の2分間を聴くことができる。その声の強度と分裂の度合いには圧倒される。
私はなぜか、あの文明を拒絶したメチキチレ族が残した歌を連想する。