200年前に世界一周した日本人がいた

ブラジル日本移民史年表

ブラジル日本移民史年表

秋田市無明舎出版から1997年に初版が出たサンパウロ人文科学研究所編纂『ブラジル日本移民史年表』冒頭の「移民前史」で、200年余り前に、13年(1793-1806)かかって世界一周するハメに陥った日本人がいたことを初めて知った。石巻の若宮丸の乗船員だった津太夫、儀兵衛、左平、多十朗の四人である。彼らの体験は「仙台藩主の命により蘭学者大槻玄沢『環海異聞(かんかいいぶん)』(1807)としてまとめたが、サンタ・カタリーナにおいては、上陸して見聞した住民、産物について記録しており、特に当時の農作物について重要な資料となっている。」(同書8頁)

「200年前に世界一周した日本人」については、ウェブ上では以下の二つのページが参考になる。

これは「石巻若宮丸漂流民の会」が若宮丸の乗組員の13年間にわたる体験を子ども向けの物語にまとめた小冊子の再録。よくできている。若宮丸乗組員の体験が要所要所で生き生きと語られている。また彼らが辿った航路、陸路を描いた世界図がよい。概略をつかむにはよい。

これは仙台市出身の文学研究家・歴史家である「雪狼」氏が『環海異聞』を踏まえながら書いた本格的な歴史小説である。氏は「石巻若宮丸漂流民の会」に属する。

また、私の当初の関心であった「ブラジル日本移民」の観点からは、ブラジルのサンパウロ市で発行されている、移住者や日系人・駐在員向けの日本語新聞『ニッケイ新聞』に若宮丸に関する4本の記事がある。

思いがけず、『ブラジル日本移民史年表』から「若宮丸乗組員漂流記」に漂流してしまったが、不本意にも「世界を漂流」することになった200年前の日本人の体験は非常に興味深い。特に、8年に及ぶロシアでの生活の末に、結局ロシアに留まることを決意した者/日本に帰ることを決意した者の違いは何だったのか、興味は尽きない。