情報デザイン論2007 第4回 方法論1:述語的世界観


私たちに生来備わっているらしい「物語的感受性」の有り様を概観した後は、その自覚をこれからの人生において役立つような「方法」にまで高める、深めるにはどうしたらいいかという話になります。いわゆる情報デザインの成果はそのような方法の様々な応用、活用だと言えるでしょう。さて、今回から情報デザインの各論に入ると前回アナウンスしましたが、実はやはりここで「方法」の話を飛ばすわけには行かないと判断して、哲学的、方法論的なお話を二回だけ差し挟むことに計画を変更することにします。これは「物語的感受性」の重要性を肝に銘じるために、つまり基本的な視座を固めるためにも是非必要なステップですし、面白い内容ですから期待してください。題して「方法論1」と「方法論2」です。

今回は「方法論1」ということで、「述語的世界観」のお話をする予定です。「述語的?何それ?」と思った人も少なくないと予想しますが、言葉としては「主語的」ないしは「主体的」の対義語です。ただし、「対象的」、「客体的」とはかなり違う、主/客の分断によって貧しくなる以前の世界の根本的な有り様を表現する言葉です。思い当たる節があるのではないでしょうか。私たちは放っておけば、次第に「保守的」になって、自分中心に陥り固まって、結局身動き取れなくなりがちであるということがありますよね。小さな世界に閉じこもってしまう。萎縮してしまう。自信を失う。生きる意欲を失う。

そうならないためには「自分中心」の「自分」を捉え直してひとつしかないと思い込んでいる「中心」を壊さないといけない。その方法が「述語的」なんです。「関係的」と言い換えることもできます。それはワクワクしながら生きて行くための方法の原理と言ってもいいでしょう。春学期に「論理学入門」を受講した人はフレーゲが開拓した「述語論理学」の話かと連想したかもしれませんね。実は深く関係はするんですが、論理学の話しではありません。あくまで世界観ひいては人生観に応用されるべき物の見方、考え方の重要性について以下のテーマに沿って敷衍します。

1共通感覚
2「もっともらしさ」(plausibility)に秘められたこと
3私たちはいつから主体と客体をきっぱりと分けるようになったのか
4分けない方法、つながる方法
5述語的世界観

尚、「各論」用の題材は今後も適宜「資料」として挙げていきますから、リンク先に飛んで楽しんでください。