阿呆律動(アフォリズム)

とにかく、現在の環境を活かして何をするかだと私は半ば自分に言い聞かせるように数百人の学生に向かって語りかけていた。現状認識、批評、批判はとっとと済ませて、未来の構築、構築、等々。そのための材料として己の体験を最大限尊重しつつ、記録、記録。もちろん、同時に検索、検索。でも外を探しているだけじゃ、それだけでいくら時間があっても足りゃしないんだから、内を探すこと。己の体験の中に、埃にまみれ、眠っている「宝」が沢山あるはずなのだから。

パソコンとインターネットをまだまだ出来の悪い「文房具」だけど、使い倒してやろうという意気込みで活用すること。なきゃないで、紙とペンで、あるいはこの素手と体でもっとずっと生産的な人生を送れるよ、と言えるくらいの人生観、価値観、世界観を持つこと。

自分が日々刻々と触れあうものたちに、「情報」や「編集」や「デザイン」を感じること。さらには「体系」や「構造」を感じとること。情報技術なんて怖くない。「言葉」にしてからが立派な情報技術の「いろは」なんだから。言葉の彩を読み取れないような人は情報技術「以前」のニセモノ。

小さな悪に目くじら立てて、大きな悪に鈍感な輩こそ、地獄行き。小さな悪を許容する大きな懐を持つ人こそが大きな悪と戦う有志。