優しさ、調子外れ、越境の作法

昨日のジョナス・メカスの365日映画紹介の中でメカスが朗読する詩「君に優しくなりたい」("I Want to be Sweet to You")についてちょっとためらいを感じながら「シンプルな愛の詩」と書いた。ためらったのは、見かけとは裏腹に内容は決して単純でも素朴でもないと感じていたからだった。でも、その理由ははっきりとは分からなかった。

ところが、意外なところから光が射した。

以前『知られざる佳曲』経由で紹介した『ボサノヴァ日本語化計画』を粛々と進めるOTTさんのブログ『調子外れな日々』で、今日明らかに人種差別ないしは民族差別の現実を背景に持つ「偏見」("Preconceito")というボサノヴァを聞いて、驚いた。「誰よりも君を優しく愛すよ 差別しないで」をサビのフレーズとして持つその愛の歌はメカスの詩「君に優しくなりたい」にそっくりだったからだ。

OTTさんによるこの歌の解説はこうである。

白い金持ち女に恋した、暑い地方出身の黒くて貧しい男の歌。
こういう歌が可能なところが、ブラジルの面白さという気もする。
彼女のほうは周囲に「あいつは黒すぎる」とか言ってるらしいが、
サンバにおける「黒(moreno)」はブラジルらしさでもあるわけだから。

「こういう歌が可能なところが、ブラジルの面白さという気もする」という指摘が非常に鋭いと思った。というのは、私の解釈では、それは裏返せば、ブラジルでなければ「こういう歌」は「可能」ではないということだからである。つまり、ブラジルでなければ、差別の現実はこんな「愛の歌」に昇華されずに変なことになってしまう。どうなってしまうか。例えば、犯罪になってしまう。

ところで、ここでさらに意外なところから光が射した。

同じOTTさんのひと月以上前の「越境」と題されたエントリーで、鈴木道彦著『越境の時 一九六〇年代と在日』(集英社新書)が非常に巧みに推薦されていた。

ひさびさに会った友人が勧めるので、読んでみた。
すごかった。今年の新書ナンバーワンだな。

内田樹『私家版・ユダヤ文化論』も、
福岡伸一生物と無生物のあいだ 』も、
斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』も、
この本の迫力にはちょっとかなわない気がする。
著者にこの本を書くように説得したという上野千鶴子にも、感謝すべきだろう。
内容については、とても解説できる自信がない。
なので騙されたと思って読んでみてください。

越境の時 一九六〇年代と在日 (集英社新書)

越境の時 一九六〇年代と在日 (集英社新書)

私はすぐに「騙されたと思って」買っておいたが、すぐには読むことができずに、今日ようやく読むことができた。OTTさんの推薦の言葉に誇張はなかった。そしてその本の瞠目すべき内容もさることながら、そもそもその本を紹介するに至ったOTTさんの深い動機に触れたような気がして驚いていた。それは「ボサノヴァ日本語化計画」の本当の目的にも関係しているように思えた。

同じような差別の現実があったときに、ブラジルではそれがボサノヴァのような素敵な歌を生む知恵があるが、日本では『越境の時 一九六〇年代と在日』で描かれているように、それが悲劇的な犯罪を生んでしまいかねない。しかも、それは民族差別や人種差別といったレベルの問題としてだけでなく、日々の生活全般に深く広く浸透している厄介な問題である。実は私たちの日常生活は大小様々な差別、偏見、誤解を言わばベースにして成り立っている。それらは「決めつけ」という「固い調子」を本質とする。そんな固い調子から「外れる」こと、つまり柔らかく、「優しく」なること。それがボサノヴァが教えるどんな相手との間にも必ず存在する壁、境界を超える作法である。だからこそ、OTTさんのブログ名は「調子外れな日々」なのだ。

そういうわけで、昨日のメカスの「君に優しくなりたい」というシンプルな愛の詩には、実は複雑で深いボサノヴァの精神に通じるものがあると気づいた次第である。