絶対文字感と真性活字中毒者


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シンプルでほのぼのとした造本に惹かれて読み初めた書体デザイナーの片岡朗(かたおか あきら, 1947年生まれ)が書いた『文字本』に、凄いらしい人物が登場する。築地電子活版代表の府川充男(ふかわ みつお、1951年横浜生まれ)。片岡朗は府川充男についてこう書いている。

二〇〇五年、府川さんは『聚珍録』という本を出しました。全三分冊、総計三五〇〇ページで近世・近代日本の印刷史・活字史をまとめた空前の規模の大作です。一見、研究者のための専門書のようですが、過去の活字を図録として見ることのできるこの本を、僕は「デザイン書」だと思いました。時代の流れとともに良くなるものもありますが、少なくとも文字は、かつての活字のほうが優れた形をしていた。だから文字を見る目を肥やすには、昔の資料を見ることが大切なのです。『聚珍録』は日本中のすべてのデザイン会社に一セットずつ置かれるべき本だと思うのです。(082頁)

「聚珍録」は「しゅうちんろく」と読む。これを読んだ翌日私は図書館に走り、その三分冊、B4版、総重量8.5kgを借出した。


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サイズ比較のために携帯電話を上に乗っけてみた。

これは確かにスゴい‽ どれくらいスゴいか計り知れないくらいスゴい‽ 挑み甲斐があると思った。

ところで、片岡朗は『文字本』に府川充男の談話を収録している。そこに『聚珍録』が出来上がった経緯と、面白い教訓や逸話が載っている。先ず経緯から。

『同時代音楽』なんかの雑誌編集をやっているうち、活字に興味がわいてきた。そうして活字を調べていくなかで活字や組版、印刷の歴史というものを研究したいと思うようになった。それで一九八五年から九〇年くらいにかけて約六年、毎日のように国立国会図書館とか国立公文書内閣文庫に通うようになったわけ。その間、一万点くらいの第一次資料に当ったと思う。でも、その時に書いたメモは大学ノートわずか十五冊分よ。文字に興味があるなら、『聚珍録』に載っているものの一次資料を自分で全部見てこいと思うよ。六年間通ったエキスだけをあそこにもうまとめてるんだから、あの通りにやったって、今度は三年で済むだろ?

いつも一個しかテーマを持っていない奴は、いつまでたってもダメなんだよ。一つのことを調べ始めると連鎖的に新しいテーマが見えてきて、直接は関係ないテーマを常に二十個くらい持つようになる。それで、これはこれに関連する、これに関連する、と枝葉を作っていけば、どこかで引っかかる資料が出てくる。そうやって探していったからこそ、あれだけの資料を見つけることができたんだ。
(085頁〜086頁)

次に教訓と逸話。

三十字くらいずつ明朝体ばかり並べても全部区別できるような目が、デザイナーが書体選択するうえでは必要なんだよ。そういう目を持った人は、ほとんどいない。身につけるには、見る量を増やす、それに尽きると思うよ。見るものは何だって関係ない。漫画だって新聞だって、何だって量のうち。とにかく量を見る。そうすれば、膨大な並列的情報が目の前にあるわけだから、書体を見分けられる目も自ずと養われる。

本当のことを言うと、俺は『原色日本鳥類図鑑』という一冊の図鑑本から始まったんだよ。小学一年生の時に親に「クリスマスプレゼントに何をもらいたい?」と聞かれて、「『原色日本鳥類図鑑』という八五〇円の本が欲しい」と言ったんだ。これが、当時では信じられないほどすさまじく工芸的な工業技術で、本物の標本通りの色に印刷されていた。印刷技術的にいっても、すごい本だった。しかも小学一年生というのは記憶力の塊ですよ。すごいなあって、羽根の形は細部まで見る、説明文は熟読する。読めない漢字があれば調べる。それを延々とやっていたわけ。そして暖かくなったら昆虫網を持ってその辺を走り回った。それが、俺の原点なんだよ。(087頁)

『原色日本鳥類図鑑』(1956、asin:B000JB0H1C)と「昆虫網」はうまく繋がらないが、まあいいだろう。おそらく同じようにして『原色日本昆虫図鑑(1)(2)(3)』(1967、asin:458630068X)も読んだのだろう。というのは、図書館で『聚珍録』だけでなく『原色日本鳥類図鑑』も探したとき、そばに魅力的な昆虫版もあったからである。ちなみに、ともにあの保育社から出ている。残念ながら、ともに禁帯出であった。館内でしばらくその素晴らしい印刷を堪能した。

ちなみに、『聚珍録』の「聚珍」という見慣れない言葉は、中国の用例を踏襲したものらしい。というのは、中国では「聚珍版」といって、清代に乾隆帝が四庫全書中の善本の活字版にこの名を与えたと伝えられるからである。調べてみたら、府川充男はタイトルに「電子聚珍版」を使った本も共著で出していた。


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中央やや右よりに『府川充男電子聚珍版 印刷史/タイポグラフィの視軸』が見える

ところで、何が言いたいかというと、府川充男が語る教訓や逸話には私にとっては他人事とは思えない何かが強く感じられるということである。それは何かというと一種のビョーキである。私もうすうす感じてはいたが、はっきりと認識した。私はまだ軽症だが明らかにそのビョーキなのだと。それというのも、そのものズバリの本を府川充男は書いていたからである。


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この本の「はしがき」にその病名「真性活字中毒」の定義が書かれている。自称「真性活字中毒者」ならではの書きっぷりである。

しかし、これらの(いわゆる)「活字中毒者」は、いずれも読書家、濫読家とかマメに本屋に通う人の謂いである。「真性」の活字中毒からすると、これらは「仮性」の活字中毒者、いわば「中読者」に過ぎない。いやなに、「過ぎない」といっても、真性のほうがエラいと言いたいのではない。どちらかというと、仮性の方がまだ清潔で少しは救いがあるとしたものだ。あ、話がずれた。

「真性活字中毒者」とは、活字書体ソノモノに中ってしまっている連中、何というか「絶対文字感」の持ち主のことである。この場合の活字とは、狭義の活字、すなわち膠泥活字や木活字、また彫刻や鋳造された金属活字等に限られない。和文movable type 全般、すなわち写植やディジタル・フォントを含む「広義の活字」のことである。新聞の切れ端から朝毎読を見分けるくらいは朝飯前、築地活版・秀英舎・精興社・三省堂・岩田母型・モトヤ・日本活字工業・錦精社等々、主要な活字の系統は細部に至るまで誦んじている。仮名なら何でも来いで、明朝体の漢字だけを見ても活字の系統をほぼ判断できる、一度アタマのなかに書体のイメージを叩き込んでしまえば、一年や二年くらいはその書体を目にしなくても、再び同じ書体を用いた資料に出会った瞬間、記憶が一気にフィードバックされてくる……というようなのが、まあ真性活字中毒者の症状にほかならない。(一四頁〜一五頁)

「絶対文字感」。言い得て妙である。府川充男は自慢しているように聞こえなくもないが、絶対音感を備えた音楽家が日常の音的生活では不幸であるのと同じように、「絶対文字感」の持ち主は、印刷物を目にした瞬間、意味やメッセージよりも活字書体そのものに目も心も奪われ、日常生活では文字的に不幸であると言えるかもしれない。しかし、それゆえの「病者の光学」(ニーチェ)が府川充男の仕事には貫かれている。振り返れば、私も文字書体そのものに目と心を奪われる傾向は強かった。長い間その傾向があまり表面化しないように、意味やメッセージの世界に自分をつなぎ止めていたように思う。しかし、最近いろんな出来事がきっかけとなって、その傾向が一気に表面化しつつある。まだまだ軽症だが、このまま行けば、確実に私も「真性活字中毒者」の仲間入りである。どうなるか分からないが、行くところまで行くしかない。