痩金体の消息:普遍書体はありうるか

中国の宋代の皇帝徽宗(きそう, 1082–1135)が考案した痩金体(そうきんたい)という楷書の書風がある。力強い硬い線で書かれ、キツい印象の書体である。「金属」的な印象から「痩金体」と命名されたらしい。


欲借風霜二詩帖*1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Songhuizong.jpg

1996年に台湾に本社のあるフォント・ソフトウェア会社ダイナコムウェア(威鋒數位, DynaComware)がこの痩金体の書風をもとに漢字、仮名、ラテン文字を統一的にデザインした同名のデジタル・フォント「痩金体」を作った。

小宮山博史氏はインターネット時代の国際的な書体環境を見据えた国際的書体設計の困難と可能性を語る文脈でこのダイナコムウェアの「痩金体」に言及している。

非常に良くできた書体で、漢字は中国人が作りました。平仮名・片仮名は多分、鳥海さん*2が書いている。そして、ラテン文字マシュー・カーターが作りました。ですから、一つの書体を日本人・中国人・ヨーロッパ人で作っています。こういうのは一つの解決策にはなるんじゃないでしょうか。
(「明朝体の歴史とデザインを考える」『真性活字中毒者読本』所収、251頁)

しかし、私にはどうもラテン文字は美しくないと感じられる。漢字と仮名に遠慮している印象を受ける。

小宮山氏はさらに結局は資金難で頓挫した国際的書体設計を目指した中国との共同プロジェクトを紹介しながら、そのコンセプトについてこう書いている。

考え方は、全ての言語が同一線上に組めるというのが、デザイン上のコンセプトです。その場合、どれが主役ということはありません。いろんな言語が同じウェイトで、同じ重さで、同じ大きさで組めればこれが一番です。自由平等というのは人間だけの世界じゃない。書体の上でも自由平等でありたい。(中略)良い組版・混植というのは、全ての文字が同じウェイトで組める。そして、同じラインで揃うというのが原則なのではないでしょうか。
ただ、漢字というのは重心のシステム。それに対して、ここにあるチベット文字(写真左から二番目)やラテン文字などもそうですが、基本的にはラインのシステムを持つ文字。そのときに重心システムとライン・システムとがうまく合うのかどうかということが、少し問題ではありますが、おそらくこういうやり方でいく以外に次の新しい書体というのはないでしょう。
(同上252–253頁)

これは1998年の話である。このようないわば「普遍書体」設計の試みはその後どういう展開を見せたのか寡聞にして知らないが、おそらくうまくは行っていないのではないかと思う。というのは、そもそもどこかに無理を感じるからである。

小宮山氏は実は上の引用部分の前でこう書いていた。

書手として、日本の書体とヨーロッパで作られた書体を組んだときに本当に合うの? と思います。合うはずがない。全く違う文化で、違う目的で作られているものが合うはずがない。それを組版の中で合わせているのは、やむを得ず同じような太さで同じようなスタイルでもって合わせているというだけであって、それは偶然です。デザインというのは基本的には論理の世界だというふうに思います。論理があって、その上に優れた感性が要求される。そのときに偶然ということにそんなに頼っていいのかどうかということです。じゃあ、どうすればいいんだ。何て考えているんだということになると、あんまり考えていません。どうしたらいいのか僕にはよく分からないんです。
(同上251頁)

そもそも異なる文化を背景にして、異なる目的で作られた文字たちが異なった基準に基づいたスタイルで共存することはそんなに醜いことだろうかと私は思う。小宮山氏はそれは「綺麗」ではないという。しかしその「綺麗」の基準は本来多様であるものたちを無理矢理に単一の基準で割り切ろうとする過剰な「論理」であるように思う。むしろ、バラバラなままにその多様性を受け入れる基準こそが望ましいのではないか。

複数の言語の文字が共存する場面というのは、異質なもの同士が出会う場面であり、その衝撃や驚きこそがそのままに表されたほうがよいのではないかと思うのは、素人の浅はかさだろうか。それに、書体そのものに各言語共通の基準を求める視点は実際には誰にもとることのできない神のごとき視点であるような気もする。

そういえば、府川充男氏は「新字と神字」(『組版原論』収録、後に『真性活字中毒者読本』に再録)で、こう書いていた。

それにしても、である。人々はなぜ飽くことなく、<文字>の造作へと駆り立てられてきたのであろうか。友人が事もなげに言い放った一言が、今のところ筆者には妙に胸に閊(つか)えてならないのである。「人は自分を神の位置に置きたいのじゃないだろうか」
(『組版原論』80頁、『真性活字中毒者読本』308頁)

*1:This image is in the public domain.

*2:字游工房代表