明朝体の遺伝子




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真性活字中毒者の間でちょくちょく話題に上っていて気になっていた『明朝体活字字形一覧––1820年〜1946年––』が届いた。A4版上下二巻本、総頁数725頁。文化庁が平成11年(西暦1999年)に発行した政府刊行物の一種「漢字字体関係参考資料集」であるが、実質的にこれを作成したのは、真性活字中毒者の一人、小宮山博史氏である。発行は日本の近代印刷の黎明期に本木昌造の名とリンクしている旧大蔵省印刷局。現在は独立行政法人国立印刷局である。

「はしがき」にはこうある。

 第22期国語審議会では、前期に引き続き、表外漢字(常用漢字以外の漢字)の字体について検討を行うために、第2委員会(字体検討委員会)を設けて審議を行っている。今回、審議会の資料として、明朝体活字字形の歴史的な変遷を字種ごとに一覧できるものを作成することとした。
 これは、明治以来の我が国で用いられてきた明朝体活字字形の実態を明らかにすることで、表外漢字字体の検討に資するところが大きいと判断したためである。
 本資料集は、佐藤タイポグラフィ研究所の御協力を得て、文化庁文化部国語課で冊子としてまとめたものである。資料作成に当たり、多大な御協力をいただいた同研究所の小宮山博史氏(代表)、本田光夫氏、小宮山雅子氏、また種々の御便宜をいただいた関係者各位には深く感謝申し上げる。
 国語審議会が当該の字体について答申をまとめるに当たり、その参考になれば誠に幸いである。

ちなみに、国語審議会は中央省庁の再編に伴って、2001年に廃止され、以後は、文化審議会国語分科会が実質的な内容を継承している。

内容は目次に従えばこうである。

[1]解説
解1. 一覧表中の文字の判定について
解2.欠画について
解3.資料解題
[2]部首索引
[3]字形一覧表(上巻)(下巻)
[4]一覧表にない漢字
[5]参考
(1)英国東インド会社印刷所漢字総数見本(1820年
(2)東京築地活版製造所「三号略字」(昭和10年
(3)朝日新聞社使用略字集(昭和21年)

何と言っても、字形一覧表は圧巻である。「道光版康熙字典」(1831年)と「修訂版大漢和」(1986年)の間に(1)「五車韻符」(1820年*1から(23)「朝日漢字」(1946年)までが並ぶ。






筆頭の部首「一」を眺める。微妙な違いを見せつつも、すべて同じ「ウロコ」を持つ。日本に入ってきて140年間、1820年から現在までと考えると190年間変わらずに継承されてきた明朝体活字字形の「遺伝子」を見る思いがした。しかし、約10年前に小宮山博史氏がこう発言していたのを思い出す。

明朝体が将来も基本書体として生き続けるのかどうか、それは僕にも分かりません。非常に保守的なものだから、これを簡単に捨てないだろうなと思いますが、人間の感性と知性と取巻く文明文化・技術が変わったときに、この明朝体という書体を好むか好まないかということが問われます。そのときに初めて明朝体が良いのか悪いのかという検証になる。日本に入ってきて百三十年間そういう検証はなされた事がありません。明朝体が素晴らしいのか、そうじゃないのか誰も発言していない。ただ、手元にあるから使うだけだというのが正しい見方です。あと百年もするとこれではない書体が出てくるかも知れない。
(「講演録––明朝体の歴史とデザインを考える」、『真性活字中毒者読本』(柏書房、2001年)所載、250頁。日本語の文字と組版を考える会第11回公開セミナー(1998年)における講演。初出『日本語の文字と組版を考える会会報』第11号)

見方によっては、すでに一種の「突然変異」は起こっているのかも知れないとふと思った。

*1:Robert Morrison, A Dictionary of the Chinese Language, Part II–Vol.II, Honorable East India Company's Press, Macao, 1820