富山県射水市一条の「赤田1遺跡」の溝から、9世紀後半(平安時代前期)の酒杯とみられる最古級の草仮名(そうがな)墨書土器が出土したというasahi.comの記事が目に留まった。
読めない。解読した鈴木景二・富山大教授(日本古代史)によれば、「佐佐川幾(ささつき)」「奈尓波(なには)」「乃見(のみ?)」「比川川(ひつつ?)」「比尓(ひに?)」などの文字が書かれているという。どれがどれかすら分からない。この記事を書いている記者も分かっていないようだ。分かっていたら、もう少し詳しく書けたはず。
このページが「存在」しなくなっても困らないように、記事の重要部分を抜粋して引用しておこう。
草仮名は酒杯の外側に墨で書かれ、和歌を詠む際に筆慣らしに書いたものらしい。草仮名の成立期に相当する最古級の資料で、溝の遺構も貴族らが歌を詠んで楽しんだ「曲水の宴」の場だった可能性が高いという。
解読した鈴木景二・富山大教授(日本古代史)によると、草仮名を記した墨書土器は直径13.1センチ、高さ2.4センチの皿状の土師器。器の外側に「佐佐川幾」「奈尓波」「乃見」「比川川」「比尓」などの文字が書いてあった。
「佐佐川幾」は「ささつき」と読め、酒杯の意の可能性がある。「奈尓波」は「なには」で、古代の手習いの歌として多くの出土例がある「難波津(なにわづ)歌」の書き出しとみられる。
鈴木教授は「今回発見の草仮名は9世紀後半のもので、知られている草仮名の中でも成立期のもの。仮名を続けて書く『連綿』も認められ、仮名表記の歴史を考えるうえで貴重。古代の地方で『曲水の宴』を国司ら貴族らが催したことを物語る遺構として極めて重要。草仮名墨書土器は、曲水の宴での習作の現物資料として最古かつ唯一の資料の可能性が高い」としている。
それにしても、読めなさ加減が魅力的だ。
ちなみに、「曲水の宴(きょくすい<ごくすい>のえん)」とは、中国古代に淵源するこんな風習である。
水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる杯が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、出来なければ罰として盃の酒を飲むという行事である。流觴(りゅうしょう)などとも称される。略して曲水、曲宴ともいう。(『広辞苑』第二版)