モダン・ローマン体の「遺伝子」


Bodoni*1

田中正明著『ボドニ物語』(印刷学会出版部、1998年)を読んだ。期待はずれだった。でも、なぜか、しばらく手元に置いて、ときどきぱらぱらと捲りがながら、何かを考え始めていた。なぜ期待外れだったのか。そもそも俺は何を期待していたんだ?


ボドニ物語―ボドニとモダン・ローマン体をめぐって

欧文書体におけるモダン・ローマン体の代名詞ともいうべきボドニ体とその生みの親であるボドニという人物をめぐる物語。知らなかったことはたくさんあった。面白いこともたくさんあった。天才的書体デザイナー、印刷人としてのボドニの生きざま、ボドニとボドニ体を巡る歴史の襞の陰影深い味わい。普通なら、それらを褒めて終わるところだ。しかし、何かが物足りない。何が?

ところで、案の定、松岡正剛氏が8年前に本書を取りあげていた。

ズバリこう書いていた。

 本書はジャン・バッティスタ・ボドニー(ボドーニあるいはボドニとも日本語表記する)に関するごく簡単な紹介書である。ほとんど孫引だらけのものだといってもよい。
 それなのに本書をあえて紹介するのは、本書がもともと1969年に「デザイン」誌(美術出版社)に連載されたものにもとづいていて、ぼくもこれを毎回読んでいた。それを記念したかったからである。当時、グラフィックデザインに多少の関心があれば、誰もが「デザイン」を読んだものだったが、この連載については執筆内容よりも、そこに紹介されている18世紀の活字職人たちのつくりあげた書体、いわゆるモダン・ローマン体の数々の図版が見飽きないほど新鮮だった。

そういうわけで、ここ数ヶ月和欧の書体を見まくっている私にとって、本書が期待はずれだったのは当然だったのだ。10年前に出会っていれば...。

松岡氏は本書の内容をまずは簡潔に要約してから本書を離れて、文字、活字、印刷の世界そのものに入って行き、最後には含みを持たせたしゃれた書き方で締めくくっている。

 タイポグラファーがつくった文字は、いまはただちにデジタル・フォントになって、すぐにパソコンのワープロソフトの一角に採り入れられることが多い。が、ちょっと前までは透明の写植文字フィルムになった。そして、その前は「活字の母型」というものになっていた。

 カスロン、バスカーヴィル、ボドニーはこうしたタイポグラファーの原点にいる。
 かれらが創作した文字によって、活字が組まれ、印刷文化がその上に乗り、さらにその上に出版文化の花が咲く。ということは、かれらの「創字」が文芸や思想を直截に構成しているということなのである。バルザックが印刷所を経営しようとしたり、江戸川乱歩が印刷所をつくろうとしたことを見ればわかるように(二人ともみごとに失敗をしたが)、印刷はすなわち文化であり、文化はすなわち活字であったのだ。そして、どんな書体をつかって言葉を組むかということが、長いあいだ“文化の表情”そのものだったのである。
 ちなみにぼくは、自分の気分をある水準に戻して引き締めたいときは、まずはボドニーを使って文字組を考えることにしている。

「自分の気分をある水準に戻して引き締めたいときは、まずはボドニーを使って文字組を考えることにしている」とはかっこ良すぎるなあ。「ある水準」とはどんな水準で、「まずは」の次には何が控えているのか。ちょっと尋ねてみたくなる。


The inscription at the base of Trajan's Column( davidthedesigner:trajan againより)

それにしても、肝腎の私の「期待」の「方向性」はどこへ向かうものなのか。かすかなひっかかりを感じているのは、本書の数多くの図版の中で唯一何度見ても飽きないローマン体のルーツである古代ローマトラヤヌス帝の戦勝記念塔の碑文、石に彫られた文字の姿である。紀元114年のものだ。これが約二千年も前にデザインされ、しかも石にこれだけ美しく彫られたことへの深い驚き。そしてそこに現在なお受け継がれているローマン体の強力な「遺伝子」を感じる。本物を間近に見て、できれば彫られた凹み、そのエッジに触れてみたい。


Trajan*2

ちなみに、これは上の碑文の書体を基に1989年にCarol Twombly(born 1959)によってデザインされた、その名もTrajanである。

どうも、私は文字の「遺伝子」、形の「遺伝子」を見極めようとしているようだ。

*1:This image is in the public domain.

*2:This image is in the public domain.