内澤旬子『世界屠畜紀行』の思想

先日、『印刷に恋して』(asin:479496501X)で初めて内澤旬子さんのイラストルポルタージュに触れた。

これは尋常ではないと思った。もちろん、良い意味で。そしてすぐに昨年出た『世界屠畜紀行』を買った。GWは内澤旬子さんと屠畜を巡る旅に出るのを楽しみにしていた。


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面白い。着眼点、発想、知りたいことを徹底的に追及する姿勢が痛快で、しかも分かりやすく伝えることを信条にしているところに非常に好感が持てた。扱っているテーマはいわばタブーである。誰もが目を背け、触れたがらない、だけど誰もがそこを通過してきたもの、「肉」を食べて生きている、その生きた家畜が食用の肉になるまでのプロセスを、単に「屠殺」という殺す場面だけでなく、屠殺がごく始まりに過ぎず、そこから始まり、私たちが口に入れる食肉になるまでの全工程としての「屠畜」を明らかにすること、伝えること。私たちの生の土台の一部をちゃんと知ること。そして共に考えること。何を?私たちが家畜を殺して食べて生きていることの意味を。

『世界屠畜紀行』を読みながら、小学5年生まで過ごした町の川沿にあった養鶏所や養豚所のことを思い出していた。特に級友の伯父さんにあたる「東大出のオニーサン」が経営していた養鶏所に毎日のように遊びに行っては、そこで鶏がまさに屠畜される現場に何度も立ち会った。首に包丁を入れ、逆さにして血を抜き、ドラム缶の熱湯に浸けてから、羽をむしりとるまでのプロセスを、そのときの臭いとともに鮮明に思い出すことができる。そうされる鶏が可哀想だと思う気持ちとそうする残酷さを否定するはできないという気持ちの間で揺れ動いていた心の感覚も忘れられない。そして大人たちがはっきりとは言葉にせず、態度で示していた「差別」の所在の感覚も。

昨年『世界屠畜紀行』は随分と評判を呼び、内澤旬子さんも異色のイラストルポライターとして脚光を浴びたことを最近まで知らなかった。毎日放送の『情熱大陸』にも出ていた。見逃していた。すでに「時の人」になっていた。

ウェブ上にも「内澤旬子」、『世界屠畜紀行』に関する情報が溢れている。『世界屠畜紀行』の「思想」に関しては、『情熱大陸』における「情熱語録」に内澤さん自身の的確な言葉が引用されていた。

キューバに豚の屠畜の現場を訪ねて)
屠畜っていうよりは、
広いテーマでいうと動物との付き合い方の
心のガイドラインをどう持つかっていうのを
見たいっていうのがある。

動物を殺して食べるってことに対して持つ気持ちとかが
もう少し掘り下げて考えたいかなーって
思ってるんですけど、これが相当難しいな、と。

「動物との付き合い方」の一環としての「動物を殺して食べるってことに対して持つ気持ち」、「心のガイドラインをどう持つか」。これは大きく深い思想的テーマであると言えるだろう。内澤さんはこんな学会でも報告している。

内澤旬子という存在を通して、知りたい情熱(哲学)が世間の常識(ドクサ)を突き破り、新鮮な生の地平を切り拓いていくのを感じた。

内澤さんの最新情報は下のはてなダイアリーで。

ちなみに、パートナーの南陀楼綾繁こと河上進氏もはてなダイアリーをやっている。