笑顔の修行こそが足りない

南無さんが爺へエールを送ってくれた。

南無さん、ありがとう。

南無さんが語るように、私も気づいたら「老いを逆手にとる」ような生き方を楽しみはじめていた。ここで、体力の衰えと反比例するように、頭の方はいよいよ冴え渡り、心はますます澄んで行く、と言い切れれば、どんなにかカッコいいだろうが、実情は、頭の方はいよいよ混沌とし、心はますます濁って行く、と言った方が近い。とは言え、そのことを嘆いているわけではない。そんな自分を楽しんでいるのである。思うに、老いを受け入れることは若い頃に振り回されがちな色んな欲望=可能性から少しずつ自由になって行くことでもあるのだろう。そして若さ(の素晴らしさ)というものは、そんな老いのなかではじめて客観視できるようになるらしく、私はそれを積極的に楽しみ始めているのだろう。

さぼり気味のtwitterではこんなことが書かれていたという。

三上さんはどことなく南無さんに面差しが似ていますね。とてもいい顔をしていますが野蛮さと卑劣さが足りないですね。だから笑った顔が似ているのです。

なるほど、と思った。ただ、私としてはまだまだ笑顔の修行こそが足りないのだと痛感する毎日である。