島から島へ:ナマコ先生から学ぶ

鶴見良行(1926–1994)というかなり変な人がいた。『バナナと日本人』や『ナマコの眼』など、いかにも目のつけどころが普通ではないことが感じられる変な題名の本の著者としても知られる「歴史ルポルタージュ作家」である。ナマコ? そう、あの海の生物のナマコである。鶴見良行さんはナマコに目を付けて、20年ちかくも東南アジアや北海道を歩き、撮り、記録し、文献も読み、ナマコの眼を通して現代世界の病理をするどく診断し、その処方箋を遺した偉い人である。そんなことをやった人は他にいない。敬愛と親愛の情を籠めて、ナマコ先生と呼びたい。

先日、そんなナマコ先生の遺作『ココス島奇譚』に触れたら、タイミングよくid:t-peleさんが北海道開拓記念館でナマコ先生の展示会をやっていることを知らせてくれた。

最終日の今日、午後からカミさんと見に行って来た。


北海道開拓記念館正面


鶴見良行、東南アジア・北海道を歩く」展ポスター


展示室で無料配布されていた「豆本51」


会場入口横の壁に掛けられていた「礼文島から利尻島を望む」(1985年6月20日、撮影:鶴見良行

よかった。特に感動したことが三つあった。ひとつは掌にすっぽりと収まるサイズの「豆本51」がよく出来ていたこと。写真、図版入りの30頁からなる立派な内容の本である。鶴見良行さんのプロフィールに始まり、今回の展示会の概要、そして文献案内まで盛り込んである。

二つ目は、会場でドキュメンタリービデオ「チャハヤ号航海記」(1988年、15分)を観ることができたことである。生前のナマコ先生の愉快な言動に触れることができた。

そして最後に、大きく引き延ばされたカラー写真「礼文島から利尻島を望む」(1985年6月20日、撮影:鶴見良行)を見ることができたことである。展示室でも数多くの興味深い白黒写真に混じって小さな判の「同じ」写真を見ることができた。しかしその時はどこか遠い場所の記録のように感じられてピンと来なかった。閉館を告げるアナウンスが聞こえて、展示会場を後にして、ふと振り返った時に、入口横の壁に掛けられていた大きなカラー写真が生々しく目に飛び込んできたのだった。会場に入る時にはちょっとした角度の違いで立て看板の陰になっていて気づかなかった。その写真を改めてじっくりと見た。船着き場から山のような島を遠く望む写真である。山は利尻岳か、と思った瞬間に、ハッとあることに気づいた。島から島を望む眼、島と島をつなぐ線を見る眼が写っている、と。そして、それこそが、私が北海道にいながらにしてナマコ先生から学ぶべきモノを見る眼であり、歩むべき道であり、生きる世界である、と。ひとつひとつはとても頼りなく傷つきやすい島どうしをつなぐ運動が大切なんだよね。ナマコ先生?