映画と写真の間

いつの頃からか、あれかこれかで悩まなくなった。選択させられる不自由さに気づいたのだろう。もちろん、現実には同時に二つのことをやるわけにはいかないのが当たり前だが、時間的にずらせばいい。とりあえずの優先順位をつけて、とにかく二つともやる。あれかこれかという悩みは時間的に解消される。あれもこれもでもオーケー。

そんなこと言っても、時間が足りないじゃないと思ったウブな頃もあったが、真のマイペースが分かっていれば、時間が足りないわけがない。自分の真の尺度を持っていれば、時間に過不足はない。いくらでも、時間を従わせることができる。

昨夜はニューヨークの住みづらさに言寄せて少し書いたが、写真家の楮佐古晶章さんがもはや己の存在と切り離せないサンパウロという街の暮らし難さを愛憎相半ばする調子で切々と訴えるのが気に入っている。その容易ではない生活から虚飾なく立ち上る裸の言葉に、意味を越えて、写真を見るように、魅せられる。

彼の写真日記を読みながら、ときどき写真を選んだ人の宿命なのだろうかと思う。彼に映画を撮らせたい。間違っているかもしれない。