山霊と深い淵

地名はその土地の生命、記憶そのものであるという考え方が好きだ。

帯広の書店ベルエキップ(http://belleequipe.info/)から山田秀三著『北海道の地名』(北海道新聞社刊、1984年)の古書が届いた。この本はすでに絶版になっており、草風館より復刻訂正版の『アイヌ語地名の研究―山田秀三著作集〈別巻〉北海道の地名』が出ている。紀伊國屋書店のBookWebProの紹介にはこうある。

北海道のアイヌ語地名辞書、現地調査と旧記・旧図とともに約2000項目の地名を解き明かした辞典。
地名は北海道の海岸を石狩川の河口から時計回りの順で配列。
片仮名のアイヌ語表記を見出し語とし、各項目は地形の解説と語意、これまで立てられた地名の説、アイヌ語の語義を含めた解説などをしている。
地形の略図を添付し、巻末には片仮名とローマ字による地名の索引を付す。

山田地名学の集大成。最高のアイヌ語地名辞書。
アイヌ語地名は、先住民族アイヌの貴重な文化遺産である。アイヌ語地名研究の第一人者である著者が、三〇年余にわたる現地踏査のうえ旧記・旧図を素に、その地形から地名の語義、由来を解き明かした地名二〇〇〇余項目を集録した待望の名著。
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9973482433&REFERER=0

著者の山田秀三の人物像に関してはこちらを。

司馬遼太郎にも感じたが、北海道ならではのアイヌ語由来の地名に対する山田秀三の感受性が新鮮である。「序」にはこう書かれている。

 北海道の地名の主なものは、ほとんどがアイヌ語系のもので、それが北海道のきわだった地方色であり、独特な風趣を漂わせている。北海道で生まれ育った方々は、それらに慣れきっておられて、何でもないことと思われるかもしれないが、内地から北海道に来られた方が、少し歩いて地名に触れられたなら、おやと思われるにちがいない。かつての私もその一人なのであった。
 昭和の初年に、初めて憧れの北海道に来て、登別、苫小牧を通って札幌に出た。そして月寒(当時はツキサップ)や真駒内の牧場に遊んだりしたが、東京育ちの私は、東京で慣れていた渋谷だの千駄ヶ谷だのという地名の音と全く違った美しい音の、札幌とか月寒とかいう地名にすっかり魅せられてしまった。(中略)
 アイヌ語は母音も子音も日本語と殆ど変わらない、親しみ深い言葉であるが、当然のことながら音の配列が違う。例えばp音やr音が多いし、子音で終わる音(閉音節)も少なくない。一例でいえばサッ・ポロ(sat-poro 札幌)のような形である。それらが何となく美しい、エキゾティックな風韻を感じさせてくれるのであろうか。
(『北海道の地名』、1頁)

この感覚は道産子の私にはない。サッポロ、ツキサップ、コロポックル、ついでにじゃがポックルなど、p音やr音は耳の奥の奥に染込んでいて、ごく自然な音に聴こえる。直観だが、実際に自然音に近いのかもしれない。私にとってはむしろシブヤ、センダガヤ、ホドガヤなどの方が暗い濁りの魅力もあってよほどエキゾティックに響く。


同、16頁「サッポロ附近略図」部分

それはさておき、早速興味深い記述にいくつも出くわした。二つだけ記録しておきたい。一つは毎日拝み、毎朝写真を撮っている藻岩山の項目である。

藻岩山 もいわやま

 札幌市街の南を限っている山で、山上からの眺望絶佳。この山を藻岩というのは、和人が北の円山の名モイワを誤ってこの山の名としたためで、アイヌ時代の山名はインカルシペ(inkar-ush-pe 眺める・いつもする・処)だったという。
 松浦氏後方羊蹄日誌が「西岸にエンカルシベと云山有。椴木立也。往古より山霊著しき由にて土人等深く信仰せり」と書いたのはこの山であった。
(同、33頁)

「往古より山霊著しき」か。「著しき」の中身が気になるが、未詳である。もう一つは私の住む土地の名前「川沿町」の項目である。

川沿町 かわぞいちょう
 −八垂別 はったりべつ

 昔の札幌の図には八垂別道などと書いてあったものだが、現在はその名が消えてしまった。旧図から見て、今の川沿町がそれらしいと思って、そこに行って古老に尋ねたら正にそうだった。川沿町に三本の川があって、名前が何度も変わった。川下からそれを並べると、
北の沢−四号の沢、ポン・ハッタルペッ(小・淵・川)、パンケ・ハッタルペッ(下の・ハッタルペッ)
中の沢−五号の沢、ポロ・ハッタルペッ(大・淵・川)、ペンケ・ハッタルペッ(上の・ハッタルペッ)
南の沢−八号の沢、ヌプ・パ・オマ・ナイ(野の・上手・にある・川)。
 この前の二川から八垂別の名が出たのだが、今はそのhattar(淵)の姿はない。古老に聞いたら、山裾に半円形に通っている旧道が昔の豊平川沿いで、北の沢の川口の辺には深い淵があって泳いだりしましたよ、という。昔の地名も地形もすっかり忘れられたのであった。
(同、34頁)

二点コメントしておく。「川沿」は現在では「かわぞえ」と読む。また「八垂別」という地名に関しては八垂別墓地、八垂別の滝、八垂別緑地保全地区などに名は残っている。

古老の証言として記録された部分にハッとした。というのも、「深い淵」の痕跡をうっすらと感じてきた場所があるからである。その場所をそのうち調べてみようと思う。なぜか「深い淵」が藻岩山の著しき「山霊」に関係しているような気がしてならない。