宮古群島多良間島の月伝説

月と不死 (東洋文庫 (185))

月と不死 (東洋文庫 (185))


口絵写真は「高橋天民氏に漢学を学ぶネフスキー(左)とコンラド(右)」

ニコライ・ネフスキーの『月と不死』を久しぶりに読んだ。先日、自力では著者名も書名も思い出せなかった本。

その不思議な感触だけを妙に覚えていた月の伝説とはこんな内容だった。歴史的仮名遣をそのままに引用する。

 宮古群島では、この二つの大きな世界的発光体、太陽と太陰は、古代日本神話の様に姉弟とは考えずに、夫婦となってゐる。(中略)

 宮古群島多良間島に伝はる伝説によれば、太古、妻---月の光は、夫---日の光よりはるかに強く明るいものであった。処(ところ)が夫が羨望の余り、夜歩む者には、この様な目を眩(くらま)す光は不必要だという口実で、少し光を自分に譲る様、屡(しばしば)月に願ってみた。然(しか)し妻は夫の願を聞き入れなかった。そこで夫は妻が外出する機会を攫(つか)むで、急に後から忍び寄り、地上に突き落とした。月は盛装を凝らしてゐたが、丁度、泥濘(ぬかるみ)の中に落ちたので、全身汚れて了(しま)つた。この時、水の入った二つの桶を天秤棒につけて、一人の農夫が通りかゝつた。泥の中でしきりに踠(もが)いてゐる月の姿を見て、農夫が早速手を貸して泥から出してやり、桶の水で綺麗に洗つた。それから、月は再び蒼穹へ上つて、世界を照らさうとしたが、この時から、明るい輝ける月の光を失って了つた。月は謝礼として農夫を招き、この招かれた農夫は今尚留まつてゐて、満月の夜、この農夫が二つの桶を天秤棒につけて運ぶ姿がはつきり見受けられる(多良間生まれの徳山清定氏の講話による)。
(6頁〜7頁。読みがなは三上による。)

ネフスキーはこの伝説に関して直接的な解釈を施してはいない。敢えて解釈しなかったように感じられる。月に関する比較文化的な論述の間にこの伝説をまるごとそっと置いたような印象がある。それにしても、いろいろと想像力を刺激する伝説である。基本は母系制から父系制へ移行した古代社会の記憶が満月の夜に再生、想起されるということか。