三ちゃん(三上)とルーちゃん(Ludwig Wittgenstein)の架空の対話2
三ちゃん:この言葉の意味は、とか、この天気図が意味していることは、とかと同じようには、人生の意味は、とか、世界の意味は、なんて言えないのは、「意味(する)」という言葉の使い方が誤っているからだ、そしてさらに、人生や世界はその外側が考えられない全体だからだ、ということはなんとなく分かった気がするけど、どうも、まだ、すっきりしないなあ。
ルーちゃん:それはそうさ。まだまだ哲学の修行が足らん! というか、自分が何をしようとしているのか、そしてそれを始めるための出発点をどう定めるのか、そこに立ち戻って、しっかり足場を見つめなきゃね。
三ちゃん:厳しいなあ。でも、それはそうだね。ルーちゃんのプランはすべての哲学問題にケリをつけるために、考えられることの限界、思考の限界を、言語の限界、意味の限界として画定してみせることだよね。
ルーちゃん:その通り。でも、それはあくまで目標ね。そこに到達するための、出発点と道筋が大事なわけよ。
三ちゃん:もったいぶらないで、教えてよ。まず、どこから出発したらいいのさ?
ルーちゃん:分かんないの? ちゃんと自分の人生を生きている? 他人の人生に振り回されて、足許がお留守になってんじゃないの? 駄目だよ。しっかり、自分の足許を見なきゃ。
三ちゃん:はい、はい。説教っぽい話はいいから、早く、出発点を教えてよ。
ルーちゃん:焦りは禁物。それに、そんなに頼っちゃっても、いいの? 自分の頭で考えてみたら?
三ちゃん:意地悪だなあ。ルーちゃんみたく、頭がよくないから、分かんないよ。だから、恥を忍んで、訊いてるんじゃない。ルーちゃんには、他人に対する共感ってものがないわけ?
ルーちゃん:おっと、逆襲にでたな。でも、「他人に対する共感」って、何のこと?
三ちゃん:え! 俺の気持ちを汲むってことじゃない。そんなこと分かり切ってるじゃない。
ルーちゃん:へー。分かり切っている? ホントーか? まあ、それについては、もっと後で大問題にするから、楽しみに待ってもらうことにして、そんなに訊きたいなら、教えるよ。出発点は今、ここ、でしょ。それ以外にある?
三ちゃん:今、ここ? そんな唐突に、「今、ここ」って言われても、何のことか分からないよ。
ルーちゃん:ほーら、自分の人生の足許を見てない証拠だな、それは。
三ちゃん:何だよ? ちゃんと教えてよ。
ルーちゃん:何だよもかんだよもないだろう。考えてもみろよ。何かを始めるときに立っているのは、いつだって「今、ここ」じゃん。違う?
三ちゃん:そう言われれば、そんな気がするけど、どうも取りつく島のない答えだなあ。そこから何をどう始めればいいの?
ルーちゃん:まだ、全然、分かってないようだなあ。君の「今、ここ」を作っているすべてをはっきりさせることさ。言い換えれば、それが君にとって出発点となる「世界」なんだ。
1 世界は成立していることがらの総体である。
1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。
ってね。