対象とは何か

ヴィトゲンシュタイン (WITTGENSTEIN) [DVD]

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私たちはまず若きウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で企てた無謀とも思える哲学的探究のプラン、「考えられること」の限界を「語りうること」の限界として画定しようとする計画の全体をざーっと見ました。

次に、その探究は、あくまで「物の総体ではない、事実の総体としての世界」から出発するのだということを確認しました。「世界」の最も根源的な了解ですね。私たちは、世界を事実の総体として了解した上で、対象を個別的にとらえ、知るというわけです。世界に関する知識以前に、知識の枠組みのようなものとして世界の全体的な了解があり、それ以前には遡れない、そこから出発するしかない、という立場です。

では、そのような事実の総体としての世界から出発して、私たちはどのようにして事実を超えた「可能性」をひらくことができるのでしょうか。

そうすることができるのは、ウィトゲンシュタインの用語では「像」として働く言語のお陰であるということが最も重要なポイントでした。

すなわち、その「可能性」は、事実の構成要素としての「対象」の代わりをする「名」の結びつきの可能性としてひらかれるというわけです。そしてその可能性の全体が言語の限界、すなわち思考の限界でもある、というわけです。その可能性の全体をウィトゲンシュタインは「論理空間」と命名しました。現実世界をその一部として含む世界の可能性の全体です。「可能世界」と言ってもいいでしょう。最重要概念でありキーワードです。今後その「論理空間」の中身を詳しく見て行くことになります。

さて、今回は、次の一歩として、そもそも「対象」とは何なのか、を考えます。対象を個別的に把握するには、実は私たちがいつの間にか習得した言語全体を必要とします。普段ほとんど意識することのない言語の働きにも触れることになります。