石狩ルーラン16番地。hayakarと行くishkarその4

asin:402260185X:detail

司馬遼太郎『北海道の諸道』に厚田村が出てくる*1。時間が許せば、id:hayakarさんをお連れしたいと思っている。厚田と云えば、夏のシュッポロで金ちゃんid:simpleAの胃袋に消えたことで話題にもなった、あの知る人ぞ知る銘菓「厚田最中」を思い出す人もいるかもしれない(いないか)。厚田村は2005年には浜益村とともに石狩市編入合併され、行政区画上、村としては廃止された。現在は石狩市厚田区である。

厚田は石狩河口から日本海岸を少し北上したところにある丘と崖と入江が見事な景観を形作る土地である。今から20年ほど前に司馬遼太郎は実際に訪ねた厚田村の地形を、夭折した画家三岸好太郎の人生に重ねて情感豊かに描いている。三岸好太郎の異父兄である作家の子母沢寛の思い出も重ねて。その中で実際には札幌で生まれ、生涯厚田には行ったことがない、三岸好太郎が自筆の年譜に自分の出生地を、母親の生地である厚田村にちなんで、「石狩ルーラン16番地」と書いていたという記述に興味を惹かれた。

 そういう地名は北海道にはない。
 それに、好太郎の出生地は札幌である。ただし生母三岸イシは厚田村の人で、結婚をその父に反対され、駆け落ちして札幌に出てきてから好太郎を生んだ。
 ......出生地など自分の精神に適った土地にしておけばいい。
 という感覚が、この天才にはあったのではないか。
ルーラン
 という場所は、厚田村にある。
 崖を指すらしい。
 この厚田村の浜は、厚田川が東方の山波を割って海に出たところで造りあげられている。自然、南北が崖で、ルーランとはその崖をさす普通名詞なのか。あるいは特定の崖地(厚田村の南)のみをさすのか、よくわからない。和語ではなく、アイヌ語である。
 ついでながら、『北海道蝦夷語地名解』(明治24年刊・北海道聯合教育会)という古い辞書をめくってみると「石狩国厚田村」のくだりに、
「ルエラニ(ruerani)=坂」
 というのがあった。これが訛ってルーランになったのではないか。
(208頁)

ルエラニ? ルーラン? フランス語の響きの記憶にもどこかでつながるようなルーランの音は、三岸好太郎の頭の中で作り上げられた理想の故郷の景観を象徴する音だったのかもしれない。司馬遼太郎によれば、実際には「穴あき崖」ともいうべき「山が剥き出しの砂岩になって海中に突っ込んでしまっている岩場」で、「崖の脚が波に侵蝕されて穴が一つうがたれ、むこうの海面が見える」場所である(218頁)。

北海道の地名 (アイヌ語地名の研究―山田秀三著作集)

北海道の地名 (アイヌ語地名の研究―山田秀三著作集)

山田秀三著『北海道の地名』では、「厚田村」の項には「この村内の地名はどういうわけか原名であるアイヌ語の意味が特に分からなくなっているのであった。厚田の語義もその一つである」とある。大変興味をそそられる。そして「厚田」の項では、『上原熊次郎地名考』(1824年)の「アッ(at おひょう(楡)の皮)を採る」という説と『松浦武四郎西蝦夷日誌』(1856年頃)の「アッ・ウォロ・ウシ・ナイ(at-woro-ush-nai 楡皮を・水にひたす・いつもする・川)」という説を有力視しつつも、結論としては「はっきりしない」と明記されている(116頁)。また、「坂の下 さかのした(ルエラニ)」の項目(159頁)には、「厚田」との関連は書かれていない。単に北海道の北端に位置する稚内市街の地名とあり、ルエラニは「坂」の意で、ルエランはその略形であると略記されているだけである。


地名アイヌ語小辞典

なお、知里真志保著『地名アイヌ語小辞典』には、「at あッ オヒョーニレの樹皮。......その木はその皮から厚司を織る繊維をとるので、とくべつに関心を呼んだと見えて、地名の中によく現われる」(9頁)とある。また、「ru-eran, i ルえラン 坂;坂の降り口。[<ru-e-ran-i(路が・そこから・降っている・所)]」(111頁)とある。

ルエラニ、ルエラン、ルーラン、音楽の変奏のように、その土地に住んだ人々の間で伝えられる内に音が訛っていたのだろう。三岸好太郎を離れ、また語源や由来の話とも別に、まるで人を寄せ付けなかった険しい崖の多い土地が長い年月の間に人を受け入れなだらかな坂や丘に囲まれた土地に変化してきたことを反映しているかのような錯覚にもとらわれる。

花火の家の入口で

花火の家の入口で

厚田には、後に詩人吉増剛造が実際に厚田に何年も通いながら仕上げた長編詩「石狩シーツ」に登場する「モウライ(望来)」と呼ばれる丘もある*2ルーラン、モーライ。まるで土地と人間の交響のようだ。

望来 もうらい

 知津狩(ちらつかり)の北隣の川名、地名。これも分かりにく地名である。永田地名解は「モライ。遅流(川)。モイレと同義」と書いた。moireは流れが静かで遅いということで、モライがそれと同じ意の語であるとアイヌから聞いたのであろうか。松浦氏西蝦夷日誌は「ムライ。モウライ。名義、風によって閉じ、また開き等する儀也」と書いた。
山田秀三『北海道の地名』113頁〜115頁)

moyre もイレ(完)(1)静かでデアル(ニナル)。(2)流れのおそい。
知里真志保著『地名アイヌ語小辞典』62頁)

*1:先月、厚田の夕日の丘で日の入りを眺めた。http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20080914/1221410164

*2:「望来の丘に登る...」吉増剛造「石狩シーツ」、『花火の家の入口で』072頁。