よく生きるとは

三ちゃん(三上)とルーちゃん(Ludwig Wittgenstein)の架空の対話:

三ちゃん:ねえ、よく生きるってどういうこと?
ルーちゃん:簡単でしょ。幸せに生きるってことでしょ。
三ちゃん:そんな簡単に言うけど、みんななかなか幸せに生きられないから、困ってるんじゃないの?
ルーちゃん:三ちゃん、ちゃんと哲学してないなあ。考えても見てよ。幸せの反対は?
三ちゃん:不幸、不幸せ、でしょ?
ルーちゃん:じゃあ、不幸の意識ってどうして生まれると思う?
三ちゃん:不幸の意識? 色んな理由があると思うけど、生きていることが無意味に思えるからかな。
ルーちゃん:そう。世界や人生に意味が見出せないと感じるとき、人は世界や人生が無意味、生きるに値しない、でも生きざるをない、という葛藤の中で、だんだん、世界はよそよそしく感じられるようになり、生きる意欲も、意志も失われて行くわけでしょ。でも、さあ。それって、どこかボタンを掛け違えているんだよ。
三ちゃん:どういうこと?
ルーちゃん:だってね、世界とか人生について「意味」があるとかないとかなんて問えないんだよ。それこそ無意味なんだ。そんな問い、悩みはね。
三ちゃん:そうは言っても、実際に悩んで、自殺しちゃう人だっているじゃない。
ルーちゃん:それはそうだけど、君はまだ自殺していないし、悩みの途上にいるわけだろう? そしてその悩みを解消したいわけでしょ? それで、変な質問をぼくに向けたわけだ。だから、そんな悩みは、悩みじゃなーい。そもそも間違った悩み方であるってことを教えてあげようとしてるんじゃないの。
三ちゃん:そうか。分かったよ。それで? 世界とか人生について意味があるとかないとか問えないのはどうしてさ?
ルーちゃん:まだ、分かんないの? だってさあ、世界とか人生って、個々の物とか事実じゃないんだよ。そういうものの全体なんだぜ。意味があるとかないとかはさあ、個々の物事については問うことはできるけど、全体としての世界や人生については問えないのは当たり前じゃない。だって、その外部はないんだから。世界や人生の外側に立てると思ってんの? 出来ないでしょ? もし外側に立てるんだったら、世界とか人生をその外側から眺めて意味がどうのこうのと問うことはできるけど、それは不可能でしょ? 
三ちゃん:んんん、なんとなく分かってきたけど、つまりはどういうこと?
ルーちゃん:飲み込みが悪いなあ。つまりはさあ、意味って世界や人生を内部から満たしているもののことなんだよ。世界や人生は最初から最後まで意味に満たされているってことさ。だから、意味があるとかないとかで悩む必要はないというか、間違っているのさ。
三ちゃん:そう言われても、どうも、すっきりしないなあ。
ルーちゃん:あとは自分の頭で考えて見てよ。僕は自分の悩みで忙しいんだ。
三ちゃん:え? どんな悩み?
ルーちゃん:それは秘密。