日本でも数年前からフィルム・アーキヴィストという仕事をちらほら聞くようになった。
今でもまだ知らない人は少なくないかもしれない。日本だけではないが、映画は作る、観る、批評するでサイクルを閉じてしまい、特に古いフィルム映画に関しては、「物理的にフィルムをどうするか」に関わる、現像や保存や修復や複製に対する関心は一般には低い。後者に関わるフィルム・アーキヴィストはしたがって今でも極めてマイナーな仕事ではある。しかし、最近メディアの寿命が後者の問題をにわかに浮上させつつある。前エントリーで取り上げた「記録映画保存センター」の取り組みも、ひとつにはそういう歴史的背景がある。
ちょっと古いが、国立近代美術館フィルムセンター(NFC)で働くフィルム・アーキヴィスト岡田秀則さんのインタビュー記事が面白い。2002年の記事だが、当時岡田さんは「そもそもフィルム・アーキヴィストという仕事を知らなかった」と告白している。
正に観念的な映画の世界から物理的なフィルムの世界へと仕事の動機を深めつつ転位した岡田さんの経歴と抱負には頷く点が多い。
ところで、フィルム・アーキヴィストなんていう肩書きとは全く無縁に、しかし「物理的にフィルムをどうするか」に関わる仕事をしてきた人たちは大勢いたわけで、そのような人たちは「現像職人」などと呼ばれていた。そんな現像職人の中で、大手の現像所ではなく、東京は江古田にある「日本で一番小さな映画フィルムの現像所」こと、育映社で、半世紀以上にわたって現像職人の道を歩んできた、今田長一さんという凄い人がいる。経歴もすこぶる面白い。2003年のインタビュー記事がある。
大手の現像所ではお手上げの劣化したフィルムを修復する業を持つ職人である。育映社のホームページの「修復・復元」のページでも今田長一さんの仕事の一端を垣間見ることができる。
今田長一さんの長年にわたる「物理的にフィルムをどうするか」に関わってきた眼には、私のような観念的にしか映画を観て来なかった者には見えない映画の姿が見えている。上の記事で今田さんはこんなことを語っている。
本当のシャシンの持っている良さを出すのに、デジタルのお世話になるってことは、どうしたって無理なんだね。写真の粒子っていうのは、やっぱり違うから。フィルムを映写しているのに、濃淡に深みがなくて、ビデオみてるのとかわらない。立体感がなくて、画面が完全にぴたっと固定されちゃっているものね。これなら画面がガタガタ揺れてるくらいがまだいいねえ、って思ってしまいます。でもね、どうせそこまでやるなら、キズを消してほしいとは思いますけどね。キズを消すってことはフィルムからフィルムへの複製ではとても難しいですし、それがきれいになるなら、いいですよね。僕はビデオやDVDでキズのないきれいな映像をみて、フィルムはキズのあるままとっておけばいいと思いますね。テレシネのときにキズを消すことだってできるんですから、みるのはビデオでいいんじゃないかと思いますけど。デジタルで復元した後にまたフィルムにおこす必要があるなら、僕だったら茶色がかった黒じゃなくて、青味がかった黒にしますね。そこの部分の技術はまた別の問題ですから、フィルムの仕上がりが悪かったらどうしようもないです。でも善し悪しは復元する人、つまりお金を出す人が決めることだから、僕は何か言えるような立場ではないです。ただ、何年かしたら必ず不満が出てくるんじゃないですかね。写真本来の良さがきっとわかってきますよ。僕はそう思います。今また8ミリの人気が出たり、若い人が8ミリを面白がったり、CMなんかも8ミリで撮ってからビデオにおこしたほうが、どういうわけか立体感が出るとかね、そういうことを言い出してるくらいだから。
特に「デジタルで復元した後にまたフィルムにおこす必要があるなら、僕だったら茶色がかった黒じゃなくて、青味がかった黒にしますね。」という、実際の体験に基づく感覚に裏打ちされた精密な認識に圧倒される。