最後まで人生は単純ではない

ジョン前田のいう「単純さ」でやや混同されているように思うのは、物理的な単純さと意味的な単純さである。前エントリーで引用した箇所でクローズアップされる「棚」の「思い出の品 memento」は、物理的には単純で単一かもしれないが、意味的には途方もなく複雑なはずである。「全人生がたった1つの骨董品の棚にまで切り詰められる」のは物理的な話であり、そこに安置される「思い出 memories」は全人生を負荷された複雑な意味の織物のようなものであるはずだ。一見単純に見える「思い出の品」はその複雑な記憶世界を映し出す「スクリーン」あるいはそこへの入口のようなものだと思う。その意味では、ジョン前田に抗して、最後まで人生は単純ではない、と言いたい。