松浦泉に導かれて

かつて詩人の吉増剛造にこう語らせた編集者の松浦泉が気になっていた。

 もともと自分の詩はつねに蠢動(しゅんどう)し、突然変異のようにして生まれてくる異形の詩で、これまでずっと、それを無理矢理に詩集という形の楔(くさび)でかろうじてつなぎとめてきたようなものだ、と詩人は自らの歩みを振り返る。処女作から数えてこれ [2004年に出版された『天上ノ蛇、紫のハナ』を指す] が十八冊目の詩集になるが、これまでは必然的に、印刷文化との果てしない闘いの連続だった。「特に雑誌に掲載される場合は、締め切り間際に、稲妻が走り、火事場にいるような異様な瞬間が訪れるんです。ファックスが出始めたころは、それによって生まれる隙間を最大限に利用したりして、自分も担当編集者も悲鳴が出るような、大変なことばかりやってきました。でも、印刷所に出張校正に行っている非常時が、実はいちばん事件が起こる苛烈な時間なんですよ」(中略)「昔は馬みたいなものが走っていたとすると、いまはコガネムシみたいなちっちゃなものが疾走しているんですね。馬の速さと、虫の瞬間的にパッパッと動く機敏さの違いはあるけど、本質的なスピードは変わっていない。以前は主に水平や垂直の方向だったものが、隅に行ってみたり斜めに行ってみたり、あらゆる場所に瞬時に移動する、そういう運動になってきた。コンピュータ時代になって、ちょっと息ができるようになりました。そのせいか、頭の中は以前と変わらずに動いているんだけれども、作品が出てくる空気が少し優しくなってきたかもしれない」(中略)「デリダには共感することがいっぱいあるんです。彼は車を運転して大学まで通っていたんだけど、車の中に授業や論文のためのメモを貼り付けていて、運転しながらもメモを取り続けていたらしい。その感覚がものすごくよくわかる。車の前を何かがパッと横切るとか、事故寸前のような瞬間にも何かを書くということ。そういうことってあるんですよ。僕の表現でいえば、車内を虫が突っ走っていくような……」(中略)「もう書けない瞬間がくるのかと、むしろ楽しみにしていたぐらいだけど、どうもそうはならないんですね。小説にも行かず、評論を書くわけでもなく、異様なテクストを書き続けている。好奇心の働きがちょっと人と違っているのかもしれない。自分が生きようとすることに忠実で、それとともに出てくるテクストを書いている、そういうことなのかもしれない。でも必ずしも人間の視点で書かれたテクストじゃなくて、ある時は虫であったり、動物であったり、男のくせに女になってみたり……。次の壁に映るものの方へどんどん行っているんですね。おそらく狂気も含めたいろんなものを相手にしながら、少しずつ書き続けることの困難を克服してきたんじゃないかな。」

次の文章を読んで、ああ、松浦泉はこんな文章を書く人なんだ、と腑に落ちるところがあった。

アジアって、なんだろう? どんな場所? どんな人たち? どんな歴史のなかに、どんな現在が息づいているんだろう? いいえ、そうではなく。中国からインドへいたるおおきなひろがりをアジアと呼ぶけれど、 アジア、そのややこわばった言葉をほどいて、 さまざまな国のさまざまな名を呼び、 そこにある複数の表情を、もっともっと感じてみたい。 そのなかへ、「私」を、放ってみたい。 そこに生き、動いている、水。 「私のなかのアジア」は、たとえば、いま、そのなかにある。

2004年の篠原弘子との二人掛かりでの狸爺ゴダールへのインタビューでは、軽くいなされたようだが。

JLG:ところで、16対9という、日本発で世界中で採用されつつある画面サイズは、あなた方の目の形から来ているのでしょうか? 日本人は世界を横長に見ているということでしょうか。あそこにあるあの木を、日本人は私より横長サイズで捉えているとか? 

聞き手:あなたはスタンダードサイズのほうがお好きなんですね。

JLG:私は棺や蛇のような横長サイズよりクレジットカードの形のほうがまだしも好きです。そういえば、いまあなた方は笑っていますが、日本には「箸が転んでも笑う」ということわざがあるらしいですね。これは大変おもしろいことわざですね。私自身は「スプーンが落ちても笑う」かどうかわかりませんが。

聞き手:日本では、アンナ・カリーナ時代、政治の季節、『パッション』以降と、大きく分けて3つの時代にそれぞれファンがいるような気がします。でも、あなた自身が変わったわけではなく、世界のほうが変化して、それがあなたの作品の変化に繋がったような気もするのですが。

JLG:その通りです。でも、世界は変わったけど、実はそれほど変わってもいない。2000年はそんなに長い年月ではない。20人のお祖母さんが生きてきただけの年月ともいえる。

聞き手:映画は世界を救えると思いますか?

JLG:それは聞いてはいけない質問ですね。

その篠原弘子のプレノンアッシュ(配給は昨年で止まったようだが)の公式サイトに掲載された、2005年12月2日に名古屋シネマテークで行われた狐男爵蓮實重彦の講演と、2006年3月19日にシアターイメージフォーラムで行われた蓮實重彦青山真治の対談における蓮實の発言は、流石に狸爺を容赦なく背後から撃つような切れ味のいい内容だった。

すると、20世紀の問題を論じる度に、彼がことあるごとに口にする一つの名前にゆきつきます。シモーヌ・ヴェイユという名前です。シモーヌ・ヴェイユユダヤ系のフランス人ですが、おそらく集団というものを信じることができない人でした。集団というのは必ず堕落する。ですからカトリック教団にしても、彼女は信じることができなかったわけですし、人民戦線の頃の社会主義的な連中のことも信じることもできず、そして殆ど自死同然にイギリスで餓死する、信仰を持たない信仰者のような人なんですけれども、これは他の人の言うことに耳を傾けない、ひたむきな、ただ自分の信ずることのみを信じて自死同然に破滅する人物です。このヴェイユ的な存在に対するゴダールの憧憬というか、自分もああなりたいけれども、ああならずに生き延びてしまったという悔恨の情のようなものがいつも出ているような気がします。

青山 なるほど。彼は常に孤立しよう、しようとしているわけですよね。どんな場に身をおいても必ず孤立する方向へ積極的に自分を持っていこうとする、一種の、何でしょう、……裏返しというか、マゾヒズムなのか。
蓮實 贅沢ですよ。
青山 贅沢なんですかね。
蓮實 ブルジョワジーの贅沢以外のなにものでもないと思います。
青山 孤独であることが贅沢となることが、彼にとって今必要なんですかね。ずっとそうなんですかね、あの人は。
蓮實 それが彼の唯一の自己同一性の主張だと捉えていたと思います。彼は最近、時々「私には仲間はいない」とかなんとか言いますけれど、いれば彼は排除すると思います。
青山 常にそれをやってきたわけですよね。
蓮實 その点、私は、彼はやはりこの世界には生かしがたい存在だという気持ちを非常に強く持っておりまして、そのためには観てやらなければいけないと、これもいささかマゾヒズム的な…