クロマチック


近所の家庭菜園の様子

病気によって人はその健康状態を悪化し、やがてそこから回復する。漁に使う毒と同じように、それは漸進的に効果を現す。どちらも生と死の中間にある状態を推移させるものであり、ルソーがギリシア語に再発見した意味に沿えば、これらはクロマチックな存在なのである。もし病気と毒が半音階的な存在ならば、人間の感覚にとってクロマチックな現象である虹と共通の属性を持つことになる。

 港千尋『レヴィ = ストロースの庭』の第二のテクスト「写真と音階」より。064頁

ルソーがギリシア語由来の「クロマチック」に再発見した意味とは、多くの人にとって普段は分断されたに等しい色の知覚(「色彩」)と音の知覚(「半音階」)の間には実は両者をつなぐ、さらには生と死をつなぐ裏道(「中間」、「間隔」、「差異」)があるということだった。それはおそらく私が物心ついた頃にはとうに奪われ、その後色んなきっかけを通じて気づかされ、奪い返そうとしてきた、ある普遍的な認識であり、失われかけている「世界」への扉でもあるような気がする。

風邪で一日寝込んだ間に、苦しいながらも、思い通りにならないカラダをまるでのたうつ蛇のように感じたり、発熱のせいで感覚の麻痺した全身の皮膚が虹色に変化する発光体のように感じたりして愉快だった。


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