ようこそ北へ、冬の巻2

昨年暮れに横浜で少し言葉を交わしたとは言え、初対面に近かったリュウid:Ryu-Higa)は「意味症候群」と果敢に闘う一方で、思い切った言動の力と温かい心根とオープンな人柄によって意味を超えた生きる力そのものを強烈におそらくは半ば無意識にアピールし続ける奴だった。同じくヨッシーid:future-human)は懐深い佇まいの中で、人生の瞬間瞬間の次の一手を猛スピードで真摯に打ち続けているような奴だった。そんな心のスピードに見合わない野暮な言葉は一切口にしない潔さも身につけていた。二人とも一緒にいて気持ちよかった。そして、金ちゃん(id:simpleA)に関してはすでに彼らしいシンプルで一連の戦略的動向を踏まえたレポート「反観合一」が出ていることでもあるし、多言を要しないだろう。彼は、ますます21世紀のトリックスターとしての天分に磨きをかけており、彼はこれからも日本列島を吹き抜ける風そのものであり続けるだろう、ね? 私は彼らとの付き合いの中で、「夢の力」、「自分を底の底から信じ切る力」、「生きる底力」を感じ続けていた。そんな力を全身全霊で行使するほかに、現実を少しでも望ましい方向に変える術はない。サッポロビール園やハバナで同席した学生たちも彼らの言動から大きな刺激と励ましを受けたはずである。


チュルリョーニスの時代

チュルリョーニスの時代


彼らが北海道に飛来する直前に、風太郎の介護をしながら、ランズベルギスの『チュルリョーニスの時代』を読んだ。ジョナス・メカスがこの日本語版に「リトアニアはチュルリョーニスである」と題された詩的序文を寄せていた。それは、チュルリョーニスが絵画や音楽の世界で成し遂げたこと、そして音楽畑出身の政治家ランズベルギスがリトアニアソ連邦からの独立に際して成し遂げたことの意義を人類の一縷(いちる)の希望として世界の行く末を見すえながらメッセージ性豊かに語ったものだった。すなわち、夢の力によって世の現実主義者たちがもっともらしく語る運命の山を粉砕せよ、その頂きに的を絞り、射抜き、撃ち、粉砕せよ、と。山の頂きとは運命と夢の境界である。言うなれば、運命を書き換える「革命」の原点、起点だ。そこに私は、諦めかけた運命を夢の力によって粉砕し、そこに無数の道を拓く、あるいは無数の風穴を開けるという清々しいヴィジョンを強く感じた。藻岩山山頂で初めての土地を象徴する雪の意味をそれぞれのやり方で咀嚼し尽くそうとする三氏の傍らにいて、私もそんな「夢の力」に改めて感染していたのかもしれない。とにかく、そんな詩的メッセージを彼らに、そして学生たちにも、ちょっと改まって手向(たむ)けたいなあと感じた。

そのメカスの詩の一部を引用しておきます。

……

射手(しゃしゅ)は矢を番(つが)え、未知なるものに向ける。
そこには、運命の山と人類の夢がある。

チュルリョーニスは、矢の尖端が行き届く限界まで、命を賭けた。
彼は山を撃ち、粉砕した。
彼は自分の微粒子を彼の芸術にした。

彼は勝った。
彼は射とめ、それをわたしたちにもたらした。

ランズベルギスは歴史の凝縮の瞬間に命を賭けた。
ゴルバチョフに挑み、ソ連邦に挑み、
山に挑んだ。
ゴルバチョフは瞬いた。
矢は的中した。

ランズベルギスは瞬かなかった。
彼は、チュルリョーニスが描いた運命の山の頂きに
的を絞っていたからだ。
彼は夢を抱いていた。
夢想家が勝った。

ソヴィエトの戦車がヴィリニュスを走行していたとき、
独力で解放したリトアニアの大統領ランズベルギスは
リトアニアの自由のために誰も助けに来てはくれなかった。
アメリカも。リトアニアは自ら自由になったのだ)、
そうだ、ソヴィエトの戦車がヴィリニュスの町を走行していたとき、
ソヴィエトの戦車に囲まれた国会議事堂のなかで、
ランズベルギスはピアノに向かい、
チュルリョーニスのプレリュードを弾いていた。
天使たちは見守り、自分たちのつとめにいそしんでいた。

……

 ジョナス・メカスリトアニアはチュルリョーニスである」(『チュルリョーニスの時代』4頁〜6頁)