楮佐古さんのファベーラ取材記

ブラジル在住のカメラマン楮佐古晶章(かじさこあきのり)さんが動き出した(ファベーラ取材Ⅰ)。

ファベーラは、ブラジルはサンパウロ近郊のスラム街。「麻薬組織なども入り込み、貧困からくる犯罪の温床となりブラジル1治安が悪い」とも言われたことのある地区であり、実際に「つい最近もファベーラを取材していたカメラマンが殺されたり、今までも多くの記者やカメラマンが殺されている」という(ファベーラ取材Ⅱ)。

そこでもう40年以上にわたってボランティア活動をしているミエコさんの案内で、楮佐古さんはブラジル社会の最底辺で生きる人々の取材を始めた。ミエコさんは楮佐古さんの友人のお母さんで、高知からの移民二世。楮佐古さんも高知出身。取材の動機について楮佐古さんは、「彼女と彼女のボランティア活動の紹介を通じてブラジルの貧困生活者の窮状を高知の人、日本の人に知ってもらおう、そしてうつうつと過ごしている自分自身の突破口になれば、と思い取材を頼んだのであった」と語る。

移民二世のミエコさんにとっても、また表向きは自らの意志で日本を飛び出した楮佐古さんにとっても、ファベーラの人々の生活は他人事ではない。ブラジル国内で国家から見捨てられたも同然の人々、行政の手のまったく届かないところで国民としての最低限の生活さえ保障されずに生きざるをえない人々の姿は、明日のわが身かもしれないというだけでなく、そもそもミエコさんと楮佐古さんは共にすでに深い意味では日本から追い出された日本人でもあるからだ。そして今や日本国内は、自殺者を含めて、各種の難民、棄民が急増している。私にとっても他人事でない。

ミエコさんの案内でファベーラに入ったときの風景の変化を楮佐古さんはさすがにカメラマンらしい繊細な目でとらえている。

待ち合わせ場所の学校から5分ほど行ったところで「この辺でちょっと車を置いておいた方がいいかもしれんね」と彼女がいう。見慣れぬ車だと駐車中に盗まれることがしばしばあるらしい。一緒に行ってくれた友人が車で待つ、と言ってくれたのでファベーラ近くまで行くことになった。車を止めた場所から道を1本隔てただけで、風景ががらりと変わった。それまのペンキやセメントで外装がきちんとした家から、レンガやブロックがむき出しで、板やビニールを無理やり貼り付けたような小さな小屋がぎっしりと密集している。まるで倒れるのをなんとかお互いがホローし合っているようである。人がやっと通れるような道が迷路のように入り組んでいる。まったく知らない人間だと入り込むと出てこれないだろう。道の横には下水がそのまま流れ、ドブ川の腐ったような臭いをかすかに放っている。(ファベーラ取材Ⅱ

その言動のすべてに40年以上にわたってファベーラの住民との間に揺るぎない信頼関係を築き上げてきたことが窺えるこの上なく頼もしいガイドとしてのミエコさんに先導されるがままに、楮佐古さんは二軒の家を訪ねた。そこで出会ったエリザベッチ、そしてタチアーナの娘に注がれる楮佐古さんの眼差しはどんな偏見からも自由で限りなく透明に近い。

エリザベッチの家

中はテニスコート半分ほどの広さで、半分には空き缶や、電気製品などゴミがそのまま投げたような状態でつみあげられ、コンクリートや石の瓦礫がごろごろと転がっていた。そのゴミの中に気の良さそうなこげ茶色の、中型の雑種犬が寝そべっていた。その奥に板とビニールで何とか作りましたといった感じの小屋があり、2人の女性が、洗濯をしていた。小屋の中には、電気製品はおろか、ガスコンロも何もない。唯一ベッドがあるだけであった。入り口近くに2つのブロックがあり、そこで炊事をしているのか黒いく焦げた後があった。……エリザベッチはもうかれこれ10年、この小屋に住んでいるらしい。6人の子供がいて2人は、もう別のところにすんでいる。夫は出て行ってしまったまま帰ってこないらしい。(ファベーラ取材Ⅱ

タチアーナの家

中は薄暗く、14型のテレビがぼんやりと映像を映し出していた。10畳ほどの小屋の中は半分は壊れた電機製品などゴミ? であった。そして最近の大雨のせいか、土がむき出しの床は湿り、ところどころにある水溜まり光っていた。……こんな小屋で生活しなければならない彼女(タチアーナの娘)が無残に思えたが、彼女自身からは、さほど気にした様子が覗われなかった。今度来る時は写真と日本製の飴を持ってくるよ、というと嬉しそうに愛嬌のある笑顔を見せてくれた。別れ間際に「あんたの名前は?」と尋ねてきた。「アキ」と答えると口の中で反芻しながら手を振ってくれた。 (ファベーラ取材Ⅲ

ファベーラで暮らす人々へのかなり戸惑いながらの「取材」を通じて、楮佐古さんはこれからどんな生々しい写真と言葉をもたらしてくれるのか、非常に楽しみである。一日目の取材を終えての感想はこう締めくくられている。

貧困、人間の弱さ、強さ、無知、性・・・・、今日は、いろいろな意味で重い1日であった。(ファベーラ取材Ⅲ

「強さ」という言葉が「希望」という言葉に見えた。