記憶のシマをつくる


宮本常一、アフリカとアジアを歩く (岩波現代文庫―社会)

宮本常一と東アフリカを旅する。頼もしい伊藤幸司さんが一緒だ。伊藤幸司さんは肩書きは探検家または登山家で写真家。後年あの『宮本常一写真・日記集成』asin:462060609X)の編集にも携わることになる人である。本書には宮本常一「東アフリカを歩く」と伊藤幸司「宮本先生と歩いた四四日間」が収録されている。「言葉はろくに通じないが、それはたいしたことではない。この国の人だってみんな親切である。ニコニコさえしておれば何とかなるものである」(24頁)と語る宮本先生のレポートが面白いのはもちろん、現地を案内した伊藤さんのレポートも非常に面白い。現地で調達したオンボロバイクで何度か転倒して軽傷を負いつつ移動していたときのことを伊藤さんはこう語る。

先生は右手にペンカメラを構えたまま、左右の畑を撮りつづけている。フイルム交換まで走りながらやってしまうのだからすごい。度胸があるとか肝がすわっているとか、そういう表現ではピタリとしない。運命というようなものに一切を任せているとしか考えられない磊落(らいらく)さだ。「怖い」と言ってくれないので、私はむしろいらだってしまう。(83頁)

宮本先生の東アフリカ紀行文とそれを支えた伊藤幸司さんの裏の苦労話にも、取り上げたい話題や論点がたくさんあるが、ここでは伊藤幸司さんも目を見はった宮本先生の写真撮影への執着に注目したい。それに関して、周防大島郷土大学で2005年度に行われた伊藤幸司さんの講義「宮本常一の10万枚の写真を読む」の記録に腑に落ちる話があった。

写真家伊藤幸司さんは宮本常一と二人で、1975年(昭和50年)、東アフリカはケニアタンザニアを44日かけて旅した。タンザニアには一週間、カワサキ90ccのバイクに宮本常一を乗せて走った。これは宮本が自ら望んだ68歳にして最初の外国の旅だった。ここで収めた写真は6千枚。そして生涯のうちに撮影した写真が10万枚にのぼる。なぜこれほどまでに写真を撮ったのか、多くの人がそう思う。

「なぜうまく撮ろうとしなかったんだろう」写真家で登山家の伊藤幸司は今も不思議に思う。かつて東アフリカの旅に同行した師の宮本常一が撮った写真のことだ。・・・(中略) 「それと原稿に沿った写真を撮らず、なぜか目的をはずした写真ばかり。人を後ろから撮るとか」・・・・、しかも伊藤によると宮本は原稿を書く時、それを参考にしていない。なんのための写真なんだろう。「先生は『記憶のシマをつくるんだ』と言っていた。『記憶するための記録』ではないか。シャッターを押すことに意味があったのでは」(佐田尾信作著「宮本常一という世界」から)

周防大島郷土大学講義 - 伊藤幸司さん

「記憶のシマをつくるんだ」という言葉と「シャッターを押すことに意味があったのでは」という言葉をつなぐ場所に宮本先生の写真への凄まじいまでの執着の秘密がある。それはそのときその場で感応した風物を心深く刻む、悼む行為だった。そう感じる。もう少し言えるだろうか。宮本先生にとって、シャッターを押すことは、「私は通りすがりの者にすぎないけど、おまえのことは精一杯忘れないようにするよ。そして死んでからも忘れさせないようにするよ」とでも言葉にできるような瞬時だろうけれでも深い「挨拶」のような行為だったのではないかと思える。