私は、写真家ではない民俗学者の宮本常一の写真に衝撃を受けて、自分の撮る写真の記録性と表現性のできるだけ深い次元での統合を模索してきたのだが、文章と写真による記録と表現に関して、自分の経験をもう一歩前へ進めるために、この辺で、初心にかえるつもりで、宮本常一について書いたエントリーをゆるく束ねておくことにした。宮本常一について主題的に論じたものだけでなく、派生的なエントリーも含めての、例によって、未完のアンソロジーである。
- ネコの町(2009年02月22日)
- 坂口恭平と宮本常一(2009年02月27日)
- 棄民(2009年03月03日)
- 宮本常一が残した10万枚の写真(2009年03月04日)
- 荒木経惟と森山大道の宮本常一論(2009年03月05日)
- 50年前の貸しカメラ、現代のレンタルカメラ(2009年03月06日)
- 宮本常一の3000枚の写真(2009年03月07日)
- 日だまりを楽しむ(2009年03月10日)
- 鳥の目、虫の目(2009年03月13日)
- 悼む人々(2009年03月16日)
- 健全な資本主義すら不健全だったのか(2009年03月25日)
- 記憶のシマをつくる(2009年03月27日)
- 幻の写真集『紅頭嶼ヤミ族民族図誌』(1945)(2009年03月30日)
- 注連縄に虹を見る(2009年03月31日)
- 先をいそぐことはない(2009年04月03日)
- 中上健次と宮本常一(2009年04月09日)
- 現代のアモシュトリ(2009年04月12日)
- 「声」の歴史の断絶(2009年04月13日)
- 噂が伝説になる時(2009年04月14日)
- 木を植える音楽家、坂本龍一(2009年04月14日)
- 平等な自然(2009年04月15日)
- メメント・モリ、新生(2009年04月18日)
- 「絵引き」の発想、念仏を栖(すみか)とす(2009年04月21日)
- 神には物を頼むものではない:心のカーボン・オフセット(2009年04月26日)
- 「土佐源氏」の詩と真実(2009年05月03日)
- 蜃気楼(2009年05月07日)
- 砂漠(2009年05月16日)
- デカルト『方法序説』第三部をめぐって(2009年05月23日)
- 時間持ち(2009年05月30日)
- 絶対的な他者(2009年07月02日)
- 村崎太郎さんへ(2009年07月29日)
- 小島一郎と渋沢敬三(2009年09月01日)
- 宮本常一が撮った昭和の情景(2009年11月22日)
- 通過者の自覚(2009年12月06日)
- びろう樹(2009年12月07日)
- 故郷は時のなかに(2009年12月09日)
- 未踏の景観学と空間学(2009年12月10日)
- 船作り(2009年12月10日)
- 人間の最低生存条件は一定数のなかまなのです(2009年12月11日)
- 底、裏に触れる(2009年12月20日)
- 計り知れない重さと微かな鈍い光(2009年12月20日)
- 沖家室島(2009年12月21日)
- 沖家室島が揺れた夜(2009年12月23日)
- 根の明るさ、根の暗さ(2009年12月23日)
- 沖家室島のジェフ・ベック(2009年12月25日)
- 光の橋(2009年12月26日)
- 沖家室島、鯛の里の庭(2009年12月27日)
- 詩と真実(2009年12月28日)
- 松本昭司さんからのお知らせ(2010年01月12日)
- ニコラ・ブーヴィエが撮った昭和の日本(2010年01月20日)
- 女の世間(2010年02月14日)