否定の一言は高くつく

昔々、マサオ君は奥さんにあることを禁止された。例えば、テレビ番組を見ているときなどに、キャスターやコメンテーターの発言を「アホか! ったく、何バカなこと言ってんだよー」とか他人を一刀両断にするごとく口汚くののしったりすることである。傍にいると気分を害するというのが禁止の主な理由である。冷静に異論や批判を唱えるならまだしも、いきなり「アホ、バカ」呼ばわりする短絡さと粗暴さに奥さんはガマンがならなかったのだろう。いくら鈍感なマサオ君でも「それで哲学だか論理学だか教えてるなんて、信じられないわ」と痛い所を突かれると、さすがにちょっと反省して「わかった。わかった」とその場はお茶を濁そうとしたのだが、奥さんもたいしたもんで、それで引き下がらずにとどめを刺すようにあることをマサオ君に約束させたのだった。「今後、否定的な言葉を口にしたら、一回につき罰金千円也!」「否定的なことを言わなきゃいいんだろ。そんなのちょっと気をつければ大丈夫さ。楽勝、楽勝」とそのときマサオ君は軽い気持ちで誓約した。ところがである。マサオ君には相当に根深い否定的な体質があるようで、とても「楽勝」どころの話ではなかった。ついついぽろぽろ否定的な一言を発してしまう。気づいたときには、否定的な言葉が食卓の上などを漂っている。奥さんは決してそれを見逃さずに、ぱっと捕まえて、交通違反切符を切るミニパトの婦人警官のように冷酷に罰金千円をマサオ君に課す。そんなマサオ君にとっては非常に嘆かわしい事態が続いた。これではいけないとその時は深く反省したつもりでも、半日もすれば、そのことはケロリと忘れて、また同じことを繰り返す。反復してしまう。それにしてもお父さん生活にとって千円の損失はとてもきつい。大きく響く。うっかり口にした否定的な一言によって、平穏無事に過ぎるはずだったお父さん生活の一日が、飢えと渇きの一日になってしまう。ちっぽけな幸福に彩られたお父さん生活がかかっているのだった。いくら鈍感なマサオ君でもさすがにこたえたと見えて、最近ではほとんど否定的な一言を口にしなくなったと言われている。しかし、本当の理由は違うところにあるようだ。あるときマサオ君はこんなことをしみじみと語っていたよ。否定的な気持ちを無闇に押し殺そうとせずに、それこそ否定せずに、口からこぼれそうになる否定的な言葉をいったん飲み込んで、できるだけ肯定的な言葉に翻訳して語るようになったんだそうだ。だからと言って否定的な気持ちを忘れてしまうということではなくて、「心に刺青をしとく」んだそうだ。それから誰かから教わった「相手にはイエスと言ったと思われるほど優しくノーと言う」高等作法を学んだそうだ。とにかく、そう心がけることで、なぜか自分の否定的な重たい体質も徐々に肯定的な体質に改善されて軽くなってきたんだとさ。ホントかね。