マサオ君のブログの思想


Mario Giacomelli: L'Evocazione Dell'Ombra/Evoking Shadow (Parole Di Charta)

いいなあ、マリオ・ジャコメッリ、、


マサオ君本人は仕事の合間にブログを書いていると思っていますが、ブログの合間に仕事とやらをやっている、しかもその仕事とやらがどうも趣味としか思えない、結局すべて趣味に生きているようにしか見えないというのが家族の正直な印象です。ブログが俺のオフィスなんだ。そこに俺のすべてがあるんだ。どこに行っても、ネット環境がありさえすれば、ブログから仕事に必要な情報を引き出すことができるし、必要があって、その気にさえなれば、ブログから論文や本を書くこともできるんだ、と力説しても、家族には強弁、言い訳にしか聞こえません。家にいるときも、食事の時以外は、家族に背を向け、コンピュータという機械に向かっているとしか思えないからです。奥さんはマサオ君を「下宿人」と呼ぶことさえあります。そう言われたマサオ君は、心外だ、とは思わない、むしろ喜んでいるフシがあるところが、第三者には深刻な事態を将来に予感させるのですが、そんなコミュニケーションのギャップを、にもかかわらず、それを含めてマサオ君は楽しんでいる風でもあるところが、やっぱりおかしいのではないかと私なんかは思います。

マサオ君に言わせれば、いまや、ブログがどうのこうのという話はまどろっこしくてどうでもいいのだそうです。どんなメディアだろうが、そこで何をやっているか、だけが勝負なのだそうです。それには一理あるでしょうが、それにしても、自分が無意識に乗っかっているメディアに対する批判意識を忘れてはいけないのではないかと私なんかは思います。ところが、マサオ君は批判してる暇なんかない、と言うに決まってます。しかも、なんと傲慢なことか、ブログなんか、いつ無くなってもいい、とまで口走ることがあるのです。あってもなくてもいい。でも、今はあるんだから、それを最大限活用する。それだけさ。やっぱり使えないと思ったら、ごちゃごちゃ言ってないで、きっぱりと止めりゃいいだけの話じゃないの。それに使い方だって、別に決まってるわけじゃないし、他人に決められる筋合いのもんでもないし、好きに使えばいいだけの話でしょ。そう豪語しながらも、実は毎日、どうしようか、何を書こうか、このまま続けようか、もう止めようか、という葛藤に苛まれているんですよ、きっと。おい、何か言った?