別れは辛いが、、

いつも風太郎を毛だらけよだれまみれになるのも厭わずにもみくちゃにして可愛がってくれた上野さんは、古いがよく手入れされたとても良い感じのドイツ車に二〇年以上乗ってきた。しかし、最近いつの間にかその車を見なくなったと思ったら、今朝、お宅の前で真新しい白い日本車に乗って出かけようとする上野さんに出会った。運転席の窓が開いた。上野さんは堰を切ったようにその経緯を説明してくれた。故障した部品が日本ではもう手に入らない、という。ドイツに注文したら結構な金額の上に納品に三ヶ月以上もかかってしまう。いままでも修理にずいぶんとお金をかけた。もうそろそろ限界だ。愛着が大きいが、手放した。そういうことだった。上野さんは昨年年老いた愛犬を亡くした。(風太郎がその犬にそっくりだったらしく、衰弱していく風太郎を、我が子のように可愛がって励ましてくれたのだった)。そして今年年老いた車に別れを告げた。上野さんは無念さを噛みしめるような、自分によく言い聞かせるような、ちょっと溜め息混じりの声になった。……。もっと腕を上げて、良い写真を届けることを約束して別れた。たしか、一度だけあの車を撮ったことがあったなあ、と思い出して写真管理ソフトのiPhotoを過去へと遡った。2008年11月19日にその車を撮影した写真を見つけた。その日の朝、風太郎と散歩中に、運転席のドアが開いたまま家の前に停まっているその車を撮ったのだった。出かけようとして忘れ物でも取りに家に戻ったのだろう。上野さんの姿は見えなかった。私もその車が好きだった。その車が、というより、その車を本当に大切にする上野さんが好きだったと言った方がいいのかも知れない。その写真を印刷して、夕方の散歩の途中に上野さんちに立ち寄って、上野さんにそれを手渡した。車の写真は撮っていなかったから、これは嬉しいと言って、泣いて(大げさ?)喜んでくれた。


ちなみに、今使っているiPhotoにはだいたいこの三年間に撮った三万枚余りの写真が入っている。上野さんの車を撮った写真を探しているうちに、時間を逆行してスクロールして流れて行く写真が走馬灯のように過去の出来事の細部を一瞬、一瞬、照らし出した。


ところで、微笑ましいエピソードを思い出した。

ある年配者は、出会うのは簡単だが、別れるのは難しい、と人生の機微を知り尽くしたかのごとく、しみじみと若輩者に向かって言った。いやあ、そんなことないですよ。出会ったつもりになることは簡単かもしれないけど、本当に出会うことほど難しいことはないはずです。本質的には別れるのは辛いにしても簡単なことですよ。学生の頃、飲み屋で偶然隣り合わせたどこかの社長さんとそんな話になって、お前みたいな生意気な奴は、うちの会社では絶対に雇わん! と声を荒げられ、「別れた」ことを思い出した。その頃から自分はあんまり進歩していない。