時の狭間5:青森挽歌











青森駅前からバスに乗って、20分くらいで、青森県立美術館についた。真っ白で柔らかいその建築の全体が目にしみた。まだ開館前だったが、「あおもり犬」の案内表示に誘われるように、すり鉢状に凹んだ土地につけられた階段を降りた。隣接する三内丸山遺跡への通路が高架橋の下に延びていたが、ここはすでに縄文時代が露頭していると強く感じた。そして美術館の建築そのものが「縄文」と呼ばれる世界の巨大なモニュメントあるいは墓碑のように感じた。足許から立ち上ってくる不思議な空気のなかにしばらく立っていたら、門番さんが「あおもり犬」のいる所へ通じる階段塔の入口を解錠してくれた。柔らかい津軽弁を話す人だった。真っ白で巨大なあおもり犬の像は中庭のような空間にうつむいて佇んでいた。深く悲しんでいるようにもただ眠たいだけのようにも見えた。その俯いた鼻先のちょうど下に立って顔を見上げてみた。彼/彼女の目は閉じられていたが、その見えない下向き視線の行方が気になった。いや、それは紛れもなく自分の視線のことなのだと思い直した。足元を見よ。館内ではシャガール棟方志功寺山修司など懐かしい名前に出会うこともできた。受付のお嬢さんに所蔵されている小島一郎の写真を拝見することはできないか尋ねた。彼女はすぐに電話で誰かに問い合わせていたが、返事はノーだった。今度いつ展示されるかも未定ということだった。ちょっと残念だったが、出会いとはこんなものだろうと諦めた。小島一郎の写真を見ることはできなかったが、青森の各所で、古い写真を見かけた。街頭の碑で沢田教一(1936–1970)や太宰治(1909–1948)にも出会った。浜町埠頭ではイワシを釣るおっちゃんたちにあれが八甲田山だと教えられた。路地では祖母の面影を見た。それだけでも十分だった。当初計画の核をなしていた祖父の生まれ故郷、五所川原を歩くこと、そして小島一郎の写真を見ることのふたつとも叶えられなかったが、遠巻きにでも接近することができて、そこに潜む不在の故郷の中心へのアプローチ、青森との初めての出会いとしては満足すべきものだった。もっとも、これが最初で最後の青森行きになるかもしれないが。それもまたよし。