未踏の景観学と空間学


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松山巌は「未踏の景観学のために」(『宮本常一 写真・日記集成 附録』2005年、に収録)のなかで、宮本常一が遺した十万枚を超える写真群のなかには「景観学」ともいうべき宮本独自の壮大な学問の体系化への意図とその可能性を読みとることができると述べた。

 私たちは景観を分析することで、生活全体を捉え直すべき景観学、あるいは景観資源学といった学問をあらためて構築しなければならない。宮本はこの学問の基礎を切り開こうとして、膨大な写真を遺した。しかし私たちはまだ、彼の写真群を読解し、活用する方法さえも見出してはいない。まして現代の、そして未来の景観をどう考えたらよいのかについては、手探りの状態なのだ。宮本でさえ、未踏の領域であった。だからこそ私は、宮本常一の写真集を手にして、いつの日にか、これらの写真群が人々に共通の財産、景観資源を考える貴重な財産となるはずだという大きな期待を抱かざるを得ないのである。


松山巌が鋭いのは、宮本が遺した写真群に景観そのものと並んでもう一つ重要な撮影対象としての働く人々の姿、表情、特に「笑顔」があったことに注目しているところである。

 ここでいま一度、彼の遺した写真を眺めてみると、もう一つ重要な撮影対象があることに気づく。働く人々の姿、表情だ。彼らの大半は笑顔で宮本のカメラのなかに収まっている。宮本はこの働く人々の笑顔に「人々の意志と行為」の大切さを見ようとしたに違いない。特別な人などいない。日常の労働し、日々の暮らしを愉しむ表情ばかりだ。
 それにしても、彼らの笑顔を私たちはいまやなんと懐かしく感じることだろう。懐かしいのは、自らの体を使い、大自然から直接に恵みを得る仕事が身の廻りから急速に消えてしまったからだ。そしてあらためて宮本が撮り続けた平凡な風景が、平凡な人々の意志と行為が生み出してきた貴重な景観であったことに気づかされる。宮本が没してさらに四半世紀経ち、ようやく多くの人々に”景観”という価値が認識されはじめている。町並み、街道、棚田、畑、川、水路、港、明治大正期につくられた洋館や建造物、土木施設などなど、それらは宮本が撮り続けた写真のなかにある通り、じつはどこにでも見られた景観だった。
 皮肉である。景観から歴史を捉え直せば、宮本が写真を撮り続けた時期こそ、古代から近世近代まで日本人が営々としてつくり上げてきた景観を次々と短期間に崩し、消し去ってしまった未曾有の時代だったのである。

(中略)

 もし宮本が生きていれば、決して遅いということはない、将来の景観も「人々の意志と行為」の賜物なのだと熱っぽく語るはずだ。なぜなら、どのような社会であれ、景観は人々の生活のなかから日々生まれ、更新されるからだ。宮本が説く「人々の意志と行為」とは、結局のところ、人々の生活へのプライドであり、自分たちが作り上げた景観に対するプライドである。プライドがあればこそ、人間は笑顔を絶やさないのだ。


松山巌のいう「プライド」は「希望」とも言い換えられるだろう。

この最後のくだりを読みながら、ふと坂口恭平が取材を続ける都市の「狩猟民」のごとき路上生活者たちの「笑顔」が思い浮かんだ。

松山巌がその可能性に思いを馳せる「景観学」は、考現学の系譜にも連なる異端の建築家(最近の肩書きは「アーティスト」だが)坂口恭平の説く「空間学」と有機的に繋がる予感がする、、。


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