どんな種類の物語でも、植物の名前が登場するとひっかかる悪い癖がある。そこで、作者の意図したストーリー展開や様々な水準の意味作用から逸脱して、いわば意味の陥没地帯を彷徨ったり、そこで宙づり状態になってしまう。それが読書の密かな愉しみでもあるのだが、、。未だに宙づり状態が続いている植物名にビロウまたはビンロウがある。漢字では「檳榔」と書く。姜信子『ナミイ! 八重山のおばあの歌物語』のひとつの舞台である台湾で出会って以来、谷川雁「びろう樹の下の死時計」の舞台である臥蛇島で再会し、そしてごく最近、辺見庸『反逆する風景』に収められた二作品のそれぞれの舞台であるバングラデシュのダッカとベトナムのハノイでも遭遇した。「檳榔」と表記される植物とその土地で生きる人間の生々しい関係に、それらの作品の言葉全体が呑み込まれるような錯覚に陥る。
花の里の長老と、ひときわ高い声の女性の歌い手が並んで立って、それぞれ人の背丈ほどもある太い竹の先につけた大きな鈴を鳴らして、シンシンシン、鈴と一緒につりさげた瓢箪と人の頭ほどの大きさの作り物の檳榔の緑の実とを揺らしてシンシンシン。
それは、あなたがたの祖先から受け継いできた竹の杖? そうやって歌うのが祭りの作法?
もし私が自分の精神のある種の死を味わうためでなかったら、私はあの榕樹(がじゅまる)の根に座りつづけたであろう。しかし、私はその島を離れた。私は何物かをほろぼさねばならないと決意した。それは何であるか。私たちが勝手に作り上げてきた時計であるか。私はいささかもそのような日時計を信じてはこなかった。にもかかわらず、今日私をさながら転向者のごとくさせる失墜の感覚がある。人が生きているうちには全く動かず、その死と同時にちくたくと刻みはじめる時計があったなら……私はそれで彼等の優しい寡黙を測ってみたい。おそらく彼等の体内にはそのような時計の幾百が微かな音を震わせており、そのためにあのびろう樹の下の時計は、まるで死んだひとでのようにじっと動かないのだ。(谷川雁「びろう樹の下の死時計」『工作者宣言』中央公論社文庫、1959年、177頁)
男は陽根とほぼ同じ色の唇から血を流していた。血は顎を伝い、首にまで垂れていた。いや、真っ赤だけれど、血ではなかった。彼は檳榔子(びんろうじ)を噛んでいたのだった。噛みつつ赤い汁が口から垂れるにまかせ、見おろす私の存在などもともとないもののように虚ろな目をして空を見上げていた。(辺見庸「輝ける陽根」、『反逆する風景』講談社文庫、1997年、77頁)
ベニヤ板を打ちつけた窓の隙間から、菅笠の老婆が口をアングリ開けてぼくを見ている。檳榔の実を食べているのか、血を吐いたように歯が真っ赤だった。(辺見庸「走るというフィクション」、『反逆する風景』講談社文庫、1997年、187頁)