以前、檳榔はビロウなのかビンロウなのか実物を見たことのない私には判断がつかないという趣旨のエントリーを書いた。
『宮本常一 旅する民俗学者』(河出書房新社、2005年)に収録された佐野眞一と谷川健一の対談「旅する民俗学者 今なぜ宮本常一なのか」(2005.2.8)を読み直していて、宮本常一と谷川雁の関係をめぐるくだりで、谷川健一の発言に出てくる谷川雁の臥蛇島の紀行文「びろう樹の下の死時計」にちょっとひっかかった。
谷川:唯物弁証法ではない唯物論というか、雁の臥蛇島の紀行文「びろう樹の下の死時計」の「ある民俗学者」というのは宮本さんのことで、集落が五〇戸を切るとそこはもう立ち行かなくなるけれど、五〇戸でとどまれば生き延びてまた増えていくという、動物の種の問題とちょっと似ているような感じですが、ある民俗学者が五〇戸と言う、あれは宮本さんです。(65頁)
まず「臥蛇島」にひっかかった。
臥蛇島(がじゃじま)とは、鹿児島県のトカラ列島に属し、トカラ列島で最大の中之島の西約28kmに位置する無人島である。行政上は鹿児島県鹿児島郡十島村に属する。1970年(昭和45年)に全島民が移住し無人島となった。
そして特に「びろう樹」にひっかかった。ビロウには折口信夫も注目した。
ビロウ(Livistona chinensis、蒲葵、枇榔、檳榔)はヤシ科の常緑高木。漢名は蒲葵、別名ホキ(蒲葵の音)、クバ(沖縄)など。古名はアヂマサ。
ビロウの名はビンロウ(檳榔)と混同されたものと思われるが、ビンロウとは別種である。
葉は掌状に広がる。ワシントンヤシにも似るが、葉先が細かく裂けて垂れ下がるのが特徴である。東アジアの亜熱帯(中国南部、台湾、南西諸島、九州と四国南部)の海岸付近に自生し、北限は福岡県宗像市の沖ノ島。沖縄などでは庭木・街路樹に用いるほか、葉は扇や笠に利用し、また若芽を食用にする。
淡島 自凝(おのごろ)島 檳榔(あぢまさ)の島も見ゆ 放(さき)つ島も見ゆ (古事記・仁徳天皇御製)
ビロウにちなむ地名として、枇榔島(宮崎県門川町、鹿児島県志布志市、南大隅町)、蒲葵島(高知県大月町)などがある。
古代天皇制においては松竹梅よりも、何よりも神聖視された植物で、公卿(上級貴族)に許された檳榔毛(びろうげ)の車の屋根材にも用いられた。天皇の代替わり式の性質を持つ大嘗祭(だいじょうさい)においては現在でも天皇が禊を行う百子帳(ひゃくしちょう)の屋根材として用いられている。民俗学の折口信夫はピロウに扇の原型を見ており、その文化的意味は大きい。扇は風に関する呪具(magic tool)であったからである。
読んだことのない臥蛇島の紀行文「びろう樹の下の死時計」については以下の、高田さんとSIUさんの記事がいろいろと参考になった。ただし、「びろう樹」のことについては触れられていなかった。詩人としての谷川雁は題名の「びろう樹」に何らかのヴィジョンを託したのか否か知りたい。「びろう樹の下の死時計」が収録された『工作者宣言』(中央公論社文庫、1959年、asin:B000JARIRE)を注文した。
参照