感情を制御した上での抽象的な概念の操作や複雑な内面の描写よりも、一見単純な外界の描写のほうがよほど難しいと常々思ってきた。五感がどれだけ研ぎすまされているか、自我がどれだけ消尽されているかが如実にあらわれるからだ。その点で、ニコラ・ブーヴィエ(Nicolas Bouvier, 1929–1998)やブルース・チャトウィン(Bruce Charles Chatwin, 1940–1989年)のような旅人の過酷な旅の途上で記された外界の描写に感心する。例えば、ニコラ・ブーヴィエに関しては、日没の描写や空気の描写に惹かれる。
ニコラ・ブーヴィエによる日没の描写例1。
一瞬、揚げた魚が皿に盛られた金塊のように輝き、やがて太陽がありとあらゆる色を引き寄せながら、紫色の海に沈んでいった。(「アナトリアへの道」)
『ブーヴィエの世界』38頁
ニコラ・ブーヴィエによる日没の描写例2。
ワインレッドのほつれ雲がほとんど光の消えた空にまだわずかにたなびいていた。色彩の総崩れの撤退はもうじき終わろうとしていた。(「かさご」)
『ブーヴィエの世界』191頁
ニコラ・ブーヴィエによる空気の描写例1(襟裳岬)。
宙に舞う海水をたっぷり含み、ときおり鳥のまぎれこむ風に大きくえぐられるこの霧に太陽の光が差しこむとき、この陰気で異様な土地がそっくり占いの水晶玉のなかに収まっているかのように見え、吸い込まれてしまいおうな歪みがいたるところに感じられる。バスの運転手はこの鏡の宮殿を毎日通り過ぎながら、よくも酩酊状態にも度しがたい憂鬱にも落ち込まず、クラッチの切り替えや停留所に降ろす荷物のことを忘れないものだと思った。(「襟裳岬」)
『ブーヴィエの世界』143頁〜144頁
ニコラ・ブーヴィエによる空気の描写例2(アラン島)。
荒れ狂う天気のなか、ここで吸う野生のウイキョウの香りと空中に浮遊する潮の蒸気の入り混じった空気について、どんな形容を並べ立てたところで真実には追いつけない。それは横溢し、刺激し、酔わせ、軽快にし、未知の、心底笑いを誘う遊びに夢中になる動物的な精気で頭を満たす。その効力はシャンパンとコカインとカフェインと恋愛の興奮をあわせ持っている。(「アランの日記」キルマーヴィ、2月18日朝)
『ブーヴィエの世界』250頁〜251頁
ブルース・チャトウィンに関しては枚挙にいとまがないが、例えば、処女作『パタゴニア』におけるやや生硬な、しかし、風景に噛み付いて離れない気合いを感じさせる次のような形と色の描写が好ましい。
ブルース・チャトウィンによる風景の描写例1。
ブエノスアイレス湖のある台地は、西へ向かって徐々に高くなっていた。台地の壁は翡翠色の川から立ち上がり、二千フィートの切り立った塁壁をなしていた。幾重にも重なり合った火山地層は、騎士が用いる三角旗のようなピンクとグリーンのだんだら模様だった。そして台地の途切れるところには、四つの峰が一直線に並んでそそり立っていた。紫のこぶのような峰、オレンジ色の柱のような峰、鋭いぎざぎざのピンクの峰、そして灰色の円錐形の死火山は雪をかぶって縞模様になっていた。
川は、乳を混ぜたような明るいトルコブルーのチオ湖に注いでいた。湖岸は目もくらむような白、そして崖も白、もしくは白と赤褐色の横縞だった。北の岸に沿って、乳色の湖から細長い草地でへだてられたサファイアブルーの沼が横たわっている。何千羽もの黒首ハクチョウが湖面に散らばり、沼はフラミンゴでピンク一色だった。『パタゴニア』125頁
ここでは、なんと12色が書き分けられている。