城塞と砲門、工藤さんとの会話

今朝、霙まじりの雨風の中、校舎から少し離れた所にある駐車場から校舎に向かう途中で警備員の工藤さんと出会い、歩きながら、宮本常一やソローの話をした。工藤さんはソローが『コンコード川とメリマック川の一週間』の中で語った「ジョウサイとホウモン」のことが気にかかっていると言った。私は終始ピンと来なかった。「ホウモン」が「コウモン(肛門ではなく、閘門)」に聴こえる一方、ジョウサイについては、丹生谷貴志の『家事と城砦』を思い出す始末だった。工藤さんとの会話は宮本常一に戻って終えた。そういえば、ソローは川の舟旅で何度も閘門を通過する際の苦労話を書いていたので、閘門の歴史について色々と調べはしたものの、それについてはブログには書いていないはずだったが、もしかしてどこかに書いたかな、と自分の記憶力に不安をおぼえたのだった。後で念のため、「閘門」でブログ内検索をかけたが、何もひっかからない。そこで、ジョウサイ(城塞)でブログ内検索をかけると、「友情」に関するソローの考えについて書いたエントリーがひっかかった。


そうだった。このエントリーで引用したソローの言葉の中に次のような一節があったのだ。

彼は昼のように何も隠さなかった。
内面の力強さを感じるのは、そのためだろう。
というのも、城塞や砲門が役立つのは
弱さと罪を隠すためだから。

 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著、山口晃訳『コンコード川とメリマック川の一週間』301頁


本当に強い人間は何も隠さない。実は弱い人間にかぎって、色々と隠して強がっているという意味で、ソローは「城塞や砲門」という比喩を用いたのだった。工藤さん、思い出せなくて、ごめんなさい。ちなみに、僕がなぜか思い出した丹生谷貴志の『家事と城砦』は、文脈はちょっとズレますが、男たちの強がりの消息について語った面白い本です。


家事と城砦

家事と城砦