生と記録

その瞬間に自分の内と外で同時に起こったこと、その境界が揺らいだこと、それは、例えば、その瞬間に撮った写真に単純ではない写り方で写っているはずのことなのだが、それを後から思い出して書くことは、すでに色褪せた印象をなぞることにしかならないのだろうか。後から思い出して書くいわゆる日記の意義が二転三転する。思い出すために生きる時間を使ってはもったいないのだろうか。思い出さなくてもいいほどに、瞬時に忘れてしまうほどに、その瞬間を生き切らなくてはダメなのだろうか。

歩きながら瞑想し、走りながら瞑想して、生きることと記録することの接点を接面にひろげ、掘り下げたり、立ち上げたりして、ひとつの世界にまでいわば立体化させるという本末転倒と思われかねない生き方を本来の生き方として逆転させ貫くことは狂気の沙汰だろうか。

避け難い運命によって生きると同時に記録するような日記作家的(diaristic)人生を歩んで来たジョナス・メカスは、87歳になった現在も毎日そのような生を生きている。今夜ニューヨークで朗読すると彼は日記に書く。

I will be reading today at 7:30pm at Barnes & Noble on 67th St. and Broadway, together with some other contributors to the Harper Collins book My First New York.

 Jonas Mekas' Diary, April 6, 2010