肩甲骨の天使:ダニエル・エルナンデス-サラサール写真集『グアテマラ ある天使の記憶』



グアテマラ ある天使の記憶―ダニエル・エルナンデス‐サラサール写真集

グアテマラ ある天使の記憶―ダニエル・エルナンデス‐サラサール写真集


グアテマラ内戦(1960–1996)は36年間に20万人を超える死者、行方不明者を出し、その大半は先住民族マヤの人々だったと伝えられる。政府軍に虐殺された人々の遺骨発掘作業に立ち会ってきたグアテマラ生まれの写真家ダニエル・エルナンデス-サラサールDaniel Hernández-Salazar, born 1956)は、1997年7月、ある秘密墓地から掘り出された一対の肩甲骨(shoulder blade, scapula)の美しさに魅せられ、その写真を天使の羽に見立てた作品にすることを思いついたという。口を封じ、目を塞ぎ、耳を覆う天使に、沈黙を破り叫ぶ姿の天使が加わり、四天使の連作「真実を明らかに」が完成する。


Me callo(言わざる), No veo(見ざる)



No oigo(聞かざる), Para que todos lo sepan(全ての人に知らしめよ)


ダニエル・エルナンデス-サラサールはそれらの複製をフアン・へラルディ司教暗殺現場をはじめ*1、街の要所要所に貼り出すインスタレーションを展開する。案の定、天使たちは当局によって剥ぎ取られ、あるいは朽ちてゆく。ダニエル・エルナンデス-サラサールは、その過程を丹念に追跡し、カメラに収め続けた。まるでサラサール自身が己の一対の肩甲骨を羽のように羽撃かせる第五の天使になったかのようだ。


それにしても、虐殺の証拠としての遺骨の一部である肩甲骨がダニエル・エルナンデス--サラサールに与えた美的霊感の源泉が気にかかる。系統発生上、ヒトの肩甲骨は鳥類の翼の痕跡であると考えることはできないだろうか。そうだとすれば、ヒトは体内の骨格に空飛ぶ鳥の記憶を内蔵していると言える。私たちは鳥のように空を飛べたらと空想することがある。鳥の飛ぶ姿を見て肩甲骨のあたりがむずむずざわざわする経験もする。思わず両腕を鳥の翼のように羽撃かせたくなることもある。ある種の訓練によって、肩甲骨と肋骨の隙間に「風」が吹くのを感じることができるようになるとも言われる。そのような鳥の記憶が天使の表象の根拠になっているのかも知れない。


参照

グアテマラ虐殺の記憶―真実と和解を求めて

グアテマラ虐殺の記憶―真実と和解を求めて

*1:1998年4月26日グアテマラ市で、フアン・へラルディ司教は頭部を石もて殴られ殺された。それは、36年間に及ぶグアテマラ内戦期に起きた何万件もの人権侵害を明らかにする報告書『グアテマラ・二度と再び』(全4巻、日本語版抄訳は『グアテマラ 虐殺の真実------真実と和解を求めて』岩波書店、2000年)が刊行されて2日後のことだった。へラルディ司教を偲び、また免罪構造に対する司教の闘いを心に刻もうと、「すべての人に知らしめよ(Para que todos lo sepan)」と自作に名づけた。報告書4巻目の表紙を飾った作品である。世論と報道界とは、政府軍情報部組織の構成員が司教暗殺の下手人であるとみている。1年後、司教暗殺の真相が他の多くの人々の例と同じく明らかにされていないことを思い起こすため、私は公共空間に割り込む試みを実現させようと決意した。こうして1999年2月、後日〈ある天使の記憶〉と題するに至る個人的な企てに着手した。もともとの天使の作品を複製し、公共空間に貼り出すのがこの企ての趣旨である。以来、グアテマラ外の他の諸都市でもインスタレーション(街頭展示)を続けてきている。(ダニエル・エルナンデス-サラサール「〈ある天使の記憶〉に寄せて」、5頁〜6頁)