漢字は熱くてポップだ

ここまで来たら(実はどこにいるのか本人はまだよく分かっていないのだが)、避けて通るわけにはいかないなあと観念しているのが複雑な感情を抱いてしまう漢字という文字。いつの間にか私の奥深くに根付いて恐るべき力を発揮しているのが、今こうして文字を綴りながらも、その力を感じずにはいられない漢字。一方、古い漢字の書体、書風は見ているだけでゾクゾク、ワクワクする。


写真1 金文(「青銅器の碑文」部分)『組版原論』23頁、文字の赤ちゃんたちのようだ

写真2 (鳥)蟲書[(ちょう)ちゅうしょ](『説文解字』より)『組版原論』23頁、虫や鳥は表されていないが、一応(鳥)蟲書の書体に入るらしい

写真3a 大篆[だいてん]または籀文[ちゅうぶん](『説文古籀疏流』より)『組版原論』25頁、ゲゲゲの鬼太郎の父さんみたいのが沢山いる

写真3b 大篆[だいてん]または籀文[ちゅうぶん](『説文古籀疏流』より)『組版原論』25頁、眉毛と目と口の形の変化を見よ

写真3c 大篆[だいてん]または籀文[ちゅうぶん](『説文古籀疏流』より)『組版原論』25頁、動作と運動を区別して表そうとしているのか

写真4 垂露篆[すいろてん](『説文解字』より)『組版原論』27頁、なんと繊細な

写真5 小篆[しょうてん](『説文解字』より)『組版原論』27頁、彫ってみたくなる

漢字について府川充男氏は『組版原論』のなかでこう書いている。

漢字というのは最初から絵そのもの、図案そのものではなくて線条でして、既にそれなりに抽象化されたものです。そこに書道という美的な追求の可能性も開かれた。そもそも耳が識別できる情報に対して目の識別能力は百倍あるという話もあります。表音文字なんていうのは、その意味ではむしろ未熟な文字体系である。(中略)漢字のなかで本当の象形文字というのはごく少数でして、むしろ形声、つまり部首と音との組み合わせですとか、会意、部首の意味と部首の意味との合成というもののほうが多いんです(46頁)

たしかに、漢字は象形文字ではなくて優れて概念を表す文字であること、その図形性は素早い概念の操作性と優れた概念の記憶・想起装置として機能しているように実感する。漢字の一文字とアルファベットの一文字では「一」の意味が桁違いに違う。アルファベットだけの文字世界で生きるとなれば、漢字に替わる概念を表す綴り(スペル)の形姿をアタマに叩き込まなければならない。しかしその綴りの語形は漢字に比べるまでもなく「崩れ」やすい。府川充男氏によれば、それがアルファベット圏と漢字圏における失読失語症の現れの違いにも反映しているらしい*1

府川氏の「表音文字なんていうのは、その意味ではむしろ未熟な文字体系である」という見方、すなわちアルファベットは漢字に成り損なった文字であるという見方には一理あるような気がする。それに、西洋では昔から色んな記憶術が盛んだが、その一つの理由は漢字のような文字がなかったからだとさえ想像してしまう。

そんな漢字にも複雑な過去(歴史)がある。『組版原論』を読みながら、漢字の書体についてちょっとだけ整理してみた。空欄はいずれ埋めるつもりです。

書体 特徴 備考
甲骨文 BC1500年〜、骨を灼いてヒビの形から占った結果をその骨のヒビの脇に彫り込んだ文字資料 非常にシンプルな作り
金文 殷の末期から周の前期にかけて青銅器に鋳込まれた 基本的にシンプルだが時に装飾的。写真1
大篆 籀文[ちゅうぶん]ともいう。周の時代の地域的なローカル書体、六国では古文(壁中書) 奇字という呼称もあり。もっとも角張った書風を尚方大篆[しょうほうだいてん]という。写真3a, 3b, 3c
小篆 篆書ともいう。大篆を簡略化した書体、 写真4。垂露篆という優美な書風の書体がある(写真5)
隷書 左書ともいう。小篆書を簡略化 秦の俗体、筆記体がルーツ、『朝日新聞』の題字他現代でもよく見る
楷書 隷書の簡略化 北朝の楷書は隷書っぽい(→ 公式印刷用明朝体)、南朝の楷書は今の楷書に近い(→ 書道家の字体)
行書 隷書の簡略化 -
草書 隷書の簡略化 -
刻符 割印用 -
蟲書 鳥蟲書ともいう。旗や幟[のぼり]用 文字のエレメントが虫や鳥の形をした装飾文字、ハンコに使うこともあり
摹印[ぼいん] 謬篆[びゅうてん]ともいう。印章(ハンコ)用、瓦用 -
しゅ書 武器用 -
署書[しょしょ] 額用 -

*1:欧米の患者は文章がまったく読めなくなるのに対して、日本人の患者は漢字だけ読めて、ひらがなが読めなくなるという。49–51頁